マウントバッテン女性伯爵

執筆者:君塚直隆2023年3月11日
初代マウントバッテン伯爵(左)はフィリップ殿下(右上)の叔父であり、その息チャールズ3世(右下)も深く慕う存在だったが

 1979年8月27日の朝。アイルランド北西の沿岸部にある小さな港マラグモアで、7人の家族連れが停泊していたボートに乗り込み、海へと出て行った。前の晩から罠を仕掛けておいたロブスターを獲りに行くためだった。午前11時45分頃、突然ボートが爆発した。乗員3人が即死し、1人は翌日亡くなった。同じく海に放り出された3人はけがを負ったものの、命に別状はなかった。助かったうちの1人、それが事件の直後にマウントバッテン女性伯爵(Countess Mountbatten)となったパトリシアである。なぜ悲劇は起こったのか。

ドイツ出身のマウントバッテン家

 彼女の祖父はドイツ人だった。祖父のルートヴィヒ・アレクサンダー・フォン・バッテンベルクは、ドイツの名門ヘッセン大公家の次男の家に生まれた。しかし父が身分違いの結婚(貴賤婚)によって継承権を剥奪され、哀れに思った大公妃アリスが従弟のルートヴィヒを自身の故国イギリスへ渡らせる。アリスはヴィクトリア女王の次女だったのだ。イギリスに帰化し「ルイス」となった彼は海軍将校の道を歩んだ。そして1884年にはヴィクトリアと結婚する。彼女は自分をイギリスに渡らせてくれたアリスの長女だった。アリスは1878年に急逝し、以後彼女の娘たちはヴィクトリア女王が母親代わりに面倒を見ていた。ルイスの妻となったヴィクトリアもそういう背景で彼とイギリスで出会ったのだ。

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