日米間で拡大抑止をめぐる意思疎通をさらに深める必要がある[2023年5月19日](C)時事

 

大量報復戦略と日本・沖縄

 冷戦初期の1950年代にアメリカが採用した核戦略は、「大量報復戦略」と呼ばれるものであった。

 大量報復戦略とは、東側が西側に侵攻を開始し、たとえそれが核ではない通常戦力によるものであったとしても、東側に対しただちに大量の核の雨を降らせて報復するとするものである。このような大量報復戦略は、東西両陣営が対峙し合う正面であったヨーロッパにおいて、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が西ヨーロッパに侵攻することを抑止するのに有効だと考えられ、アイゼンハワー政権で採用された。

 当時は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるミニットマンや、潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)のポラリスなどの長距離型の戦略核ミサイルの製造・配備がまだ黎明期にあった。そのため、大量報復用の核として想定されていたのは非戦略核であり、射程が短いので敵対国に近接する地域に前方配備しておく必要があった。たとえば西ヨーロッパでは、1955年に西ドイツに核が配備された。

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