ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺から60年

執筆者:フォーサイト編集部2023年10月19日
 
凶弾に斃れる直前のケネディ大統領(左端)(C)AFP=時事

 1963年11月22日午後12時30分(日本時間23日早朝)、テキサス州ダラスを訪問していたジョン・F・ケネディ米大統領がオープンカーで市内をパレード中、狙撃されて死去した。ケネディ大統領暗殺事件の発生である。

 この日、日米間で初めての衛星生中継が行われることになっていた。ところが回線が通じ、日本に飛び込んできた最初のニュースは「ケネディ死去」だった。

 実行犯として逮捕されたリー・オズワルドが2日後にジャック・ルビーに警察署内で射殺されたこともあり、この事件は今もなおさまざまな疑惑と陰謀論にまみれている。事件の1週間後にリンドン・ジョンソン大統領が設置した調査委員会(ウォーレン委員会=委員長はアール・ウォーレン連邦最高裁判所長官)は翌1964年9月に報告書(ウォーレン報告)を公表したが、出された結論は「オズワルド単独犯・銃弾は3発・陰謀は一切なし」というものだった。

 しかし、発砲音の数や銃弾が飛んできた方向などについて異なる証言が存在する上、ケネディ政権の深層や個人的な人間関係が明らかになるにつれ、ウォーレン報告の信憑性に疑問符が付き、数多くの独自の分析や陰謀論が生じることになった。それは今も尽きることはない。

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