左から小泉悠氏、細谷雄一氏、田所昌幸氏 (C)新潮社

 「ロシアに大国をやめろと強制することはできない」――ロシア軍事・安全保障の専門家の小泉悠氏が、高坂正堯の新刊『歴史としての二十世紀』(新潮選書)を読んで、もっとも強く心に響いた言葉だという。

 国際政治学者の高坂正堯(1934~1996年)は、1990年に「歴史としての二十世紀」と題する連続講演を行った際に、冷戦後の国際秩序は、ロシアも「ひとかどの顔が立つ」ように仕向けなければならないと警告していた。

 このいっけん「ロシアびいき」とも思える発言の真意はどこにあるのか――国際政治と安全保障を研究している田所昌幸(国際大学特任教授)、細谷雄一(慶應義塾大学教授)、小泉悠(東京大学専任講師)の3氏が鼎談した。

*  *  *

「落ちぶれてもロシアは大国であり続ける」

細谷 高坂先生の『歴史としての二十世紀』では、「共産主義とは何だったのか」という章をはじめ、ロシアについて紙幅がかなり割かれています。ロシアの専門家である小泉先生はどう読まれましたか?

小泉 この本の中でもっとも心に響いたのは、「ロシアに大国をやめろと強制することはできない」という言葉ですね。そこがやっぱりアメリカ人がよくわかってないところなんです。アメリカ人はいつもロシアを「ディクライニング・パワー(斜陽の大国)」だって言うわけですよ。第一次世界大戦の時も、第二次世界大戦後のジョージ・ケナンの「X論文」でも、冷戦後も、もう100年ぐらいずっとそう言ってるんですね(笑)。

 でも、たとえ世界で一流レベルの経済力や技術力がなくなったとしても、やっぱりロシアは大国なんです。とにかくデカいし、暴力を振るうことをためらわないし、時折とてつもない思想や芸術を出してくる。アメリカ的合理主義ではそういう有形無形の力を見ることができない。高坂先生が「落ちぶれてもロシアは大国であり続ける」という見方をされていたのは、本当にその通りだと思います。

田所 高坂先生のロシア観は、ヨーロッパ的伝統に近いという言うべきなのか、その重要性を高く評価していましたね。本書の講演は1990年に行われているので、その後のロシア経済の危機的な状態を織り込んだ話にはなっていませんが、それでもロシアが冷戦後も重要なプレーヤーであり続けると一貫して言い続けていました。たとえば、90年代半ば、私が安全保障の関連の国際会議でご一緒した時にも、中国や北朝鮮についてはさかんに議論になったのに、「このような会議でロシアが議題に入らないのは、歴史的に極めて特異なことだ」と発言していたのをよく覚えています。

 一方で、高坂先生はロシアの軍事力については、意外というほど落ち着いた見方をしていましたね。1980年代の前半はソ連の軍事力がピークにあった時代で、「恐露論」も強かったのですが、例えば1979年だったと思いますが、ソ連の空母ミンスクが日本の近海にやって来るというんで、日本の新聞社がヘリコプターを飛ばして取材したりして大騒ぎになったことがありました。高坂先生は「アホか。あんなもん、1隻来ようが2隻来ようが、まったく関係あらへん」と悠然と構えていました。冷戦的な文脈で先生は、タカ派とか親米派とラベルが貼られましたが、ソ連の軍事力について過大な評価はしていなかったようです。

ロシアの「勢力圏」と「面子」

細谷 面白いですね。高坂先生が、小泉先生が書いている本を読んだら、どんな感想を持たれるのか興味深いです。

小泉 おそらく高坂先生は私のロシア観はあまり好みじゃないと思いますね。私は基本的に軍事研究者なので、ロシアはあくまで「抑止対象」であって、今回のウクライナ戦争に関してもロシアには徹底的に失敗してもらわねばならないという立場です。高坂先生なら、たぶん「お前、そんなゴリゴリなことを言わんで、もう少し頭を柔らかくしたらどうや」とか言われるんじゃないでしょうか。

田所 たしかに高坂先生は、ロシアは大国として国際秩序の中にいるべきだと考えていたと思います。

 そう言えば、冷戦が終わった時、私が「大国間の対立がない状態になったということは、先生が研究していたウィーン体制に近い世界になるのでしょうか?」と訊いたら、「まあ、そう言える部分もあるかも知れへんけど、そうなるかどうかは大国同士が勢力圏を相互に承認できるかどうかや」と言っていました。

 こんなことを言うと、「じゃあ、やっぱりウクライナはロシアの勢力圏にいるべきだったんじゃないか」とか曲解されてしまいそうですが、冷戦後の国際秩序をウィーン体制のような形で制御するべきだと言っていたわけでもありませんし、自分の勢力圏だからといって他国に軍事力を好き勝手に行使してもよいことにもなりませんが。

小泉 でも、高坂先生が勢力圏というファクターに注目していたのは、さすがの慧眼だったと思います。

細谷 今あらためて高坂先生の本を読むと、もしかしたら我々西側世界は、ロシアの大国としてのプライドや権利というものを蔑ろにしてしまった部分があったのかもしれないという気になります。もちろん「NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大が戦争の原因である」というウラジーミル・プーチンのロジックに乗るつもりはないのですが、一方で東方拡大を進める際の理念的ドライブとしてウッドロー・ウィルソン的な理想主義が強すぎた面はあったと思います。

小泉 先に触れたケナンの「X論文」には、「ロシア人は面子さえ立てば驚くほど簡単に引き下がる」と書いてあります。ですから、私は今回の戦争に関しては間違いなくロシアが悪いと思っていますし、西側に瑕疵があったとしてもごく僅かな比率だと考えていますが、それでもソ連が崩壊した直後の時期に、ロシアという国をもう少しうまくハンドリングする方法はあったんじゃないかという気がします。もし高坂先生が生きておられたら、そのあたりをどうご覧になったのか、ぜひ伺ってみたかったですね。

「文明」としてのロシア

田所 高坂先生は、ロシアは一つの文明であると考えていました。つまり、国力が上がったり下がったりはするけれども、時々すごい天才が出てくるし、あの人口規模でロシア人というまとまりがある以上、ロシアという存在が溶けてなくなることはありえない。そのような意味で、ロシアは一つの文明だというわけです。そういえばケナンと同じで、チェーホフが大好きでしたしね。

 そして、その文明圏はロシア一国には収まらない。旧ソ連圏の国々、バルト三国や中央アジアを訪れると、若い世代はさておき、年配の知識人の間では、やはり英語ではなくロシア語がリンガフランカ(国際共通語)なんだと実感します。彼らはロシアの文明的空間でモノを見て、考えている。

 たとえば、モンゴル人と話していても、彼らは「中国の方が金はあるかも知れないけど、どっちかと言えば、やっぱり自分たちはロシア文明圏の方が近いと感じる」と言います。私たち日本人が思っている以上に、ロシアの文明的空間は広がりと深さを持っているように感じます。

小泉 ロシアは、いろいろな統計から眺めてみると、人口でも、GDPでも、科学技術でも、大体世界で10位ぐらいの国だったんです。それが50年ぐらいかけて、ゆっくり20位ぐらいまで衰退していくと思っていたら、今回のウクライナ戦争でドカンと一気に20位ぐらいまで落ちることになりそうです。それがこの戦争の世界史的意義だと思っているんですが、それでもG20に入る国であり続けるわけで、そこより下へはなかなか落ちていかない底堅さがあります。

ロシア人の粘り強さ

田所 ロシア人って、めちゃくちゃ粘りますからね。独ソ戦でも、ボロボロになりながらも、粘り切った。それに、そもそも外国勢力がロシアを統治するのは不可能でしょう。ロシア人を統治できるのはロシア人だけです。

小泉 ロシア人の粘り強さ、御し難さは、私もロシア人の妻と結婚して痛感しているところです(笑)。

 本当にロシア人はしぶといんです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの時、北朝鮮では食料も医療品も手に入らなくなって、某国の大使館が撤退を検討せざるをえなくなった。ところがロシア大使館だけは元気に営業しているので、不審に思って様子を見に行くと、なんと彼らは大使館の庭をジャガイモ畑にして食料を自給していたそうです。

 もともとロシア人はいろいろなことに対する期待値がすごく低い。政治家は不正だらけで、役人は腐敗し、庶民は搾取されるのが当たり前で、とりあえず最低限生きていければいいと考えている。私たちのように世の中がちゃんと回っているのが当たり前とは考えない。

細谷 先ほどいろいろな統計でロシアは10位ぐらい、この先はもう少し落ちていくだろうというお話でしたが、ロシアには統計だけでは測れない強さ、長年の歴史の中で蓄積された国民性のようなものがありますよね。それこそチャイコフスキーやドストエフスキーなど数量化できない文明の力がある。これがある国とない国とでは大違いですね。

 たとえば、中国は文明があるから、大躍進政策や文化大革命の失敗があっても、結局は大国として復活することができた。そして、日本にも文明がある。第二次世界大戦の後に、アメリカのヘンリー・モーゲンソー財務長官は日本を二流の農業国にしようと考えましたが、結局そうはならなかったのは、文明の力があったからでしょう。1940年代後半の日本、あるいは1960年代の中国の統計の数字を見れば、その後GDPで世界首位を争う大国になるとは思えなかったはずです。

 『歴史としての二十世紀』の中でも、高坂先生はこういった「文明」や「国民性」など統計では扱いにくいものを、とても重視していますね。国民性を安易に一般化して語ることに警鐘を鳴らしながらも、「にもかかわらず、『国民性』という概念は国際政治の動きにおいては重要です」(198頁)、「人間でいえば、その人の癖のようなものが合わさって国の強さや行動様式を決めるところが多い」(200~201頁)と述べています。

 国際政治学がともすれば統計至上主義に傾きがちな今こそ、あらためて高坂先生の『歴史としての二十世紀』を読む価値があると思います。

※この鼎談は、高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)刊行を機に行われたものです。

※関連記事

「冷戦終結なんて大したことはない」――なぜ高坂正堯は「ベルリンの壁」崩壊直後に戦争の再来を〈予言〉できたのか|田所昌幸×細谷雄一×小泉悠 特別鼎談

「50年以上前の本なのに、まったく古さを感じない」――なぜ高坂正堯の本は、令和の大学生にも読まれ続けるのか|田所昌幸×細谷雄一×小泉悠 特別鼎談

◎高坂正堯(こうさか・まさたか)

1934~1996年。京都市生まれ。京都大学法学部卒業。1963年、「中央公論」に掲載された「現実主義者の平和論」で鮮烈な論壇デビューを飾る。1971年、京都大学教授に就任。『古典外交の成熟と崩壊』で吉野作造賞受賞。佐藤栄作内閣以降は外交ブレーンとしても活躍。新潮選書から刊行した『世界史の中から考える』『現代史の中で考える』『文明が衰亡するとき』『世界地図の中で考える』がいずれもベストセラーとなる。

高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。