黒い噂が絶えないラオスの中国経済特区を行く
今年2月、タイ、ラオス、ミャンマーの3カ国がメコン川とその支流を隔てて向かい合う「ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)」を訪れた。タイ側からラオス方向を眺めると、周辺ののどかな風景には似つかわしくない派手な高層ホテルを中心に新しいビルが林立している。実はラオス側は中国資本が開発する経済特区になっているのだ。「経済特区」とは聞こえがよいが、さまざまな黒い噂も絶えない。筆者はこのほど、タイ側から越境して、事実上の「治外法権」とされる経済特区の現状を探るとともに、さまざまな情報に基づき、そこで何が行われているのか断片的な情報から考察を加えた。
「治外法権」が認められた特区
ゴールデントライアングルはかつて世界有数の麻薬密造地帯として悪名を轟かせたが、タイ側から見る限り、表面上はすっかり平和な観光スポットになっている。問題の経済特区はタイ北部・チェンライ県チェンセンからメコン川を挟んだ対岸にあり、双方に設けられたイミグレーションを通じ、木製の渡し船で往来することができる。日本国籍者であれば、タイ・ラオスはいずれもビザが免除されているため、簡単に出入国できる。
まずは公式データから経済特区の概要を把握したい。位置はラオス北部ボケオ県のタイ・ミャンマーとの国境地帯。正式名称は「ゴールデントライアングル経済特区(中国語で金三角経済特区)」で、中国資本の金木棉集団(キングス・ロマン・グループ)が開発を進めている。開発面積は中心開発区30平方キロメートル、自然森林保護区70平方キロメートルの計100平方キロメートルに及ぶ。特区は事業権者の金木棉集団がラオス政府と99年間の開発契約を結んでおり、事実上の租借地となっている。特区が発足したのは2010年2月で、それに先立つ2007年に金木棉集団が開発に着手。農地や荒れ地に道路、埠頭、水道、電気などさまざまなインフラを整備し、2020年時点の中国側の報道によれば、累計で20億ドルが投資されたという。
特徴的なのは、特区の管理体制にあると言える。ラオス領内にありながら、国防、外交、司法以外の権限が全て金木棉集団という私企業に委ねられているのだ。この特区が中国政府の影響下にあるかどうかといえば、間接的な影響は受けるにせよ、基本的には中国の民間企業が運営する経済特区という認識がより実態に近い。
特区の行政は「経済特区管理委員会」が統括し、弁公庁、財政庁、経済発展庁、公共事業庁などの機関が設けられている。ミニ国家さながらだ。特区独自の警察機能もあり、中国製のパトカーが巡回していた。滞在中に見かけたラオスの官憲はイミグレーションの係官だけだった。
特区の中心にそびえるのは、昨年開業したばかりの真新しい高級ホテル「木棉之星酒店(カポックスター・ホテル)」だ。敷地面積は5万平方メートル、客室数は1200室。内部にカジノや娯楽施設を備え、マカオの設計事務所が手がけたというド派手な外観は木棉(キワタ)の花をモチーフにしており、夜になるとライトアップされ、マカオのカジノホテルそのものだ。
カジノは1階にあって、少し覗いてみたが閑散としていた。カードゲーム、ルーレット、スロットマシーンなどが楽しめる。ディーラーなど末端の従業員はミャンマー人やラオス人が多いようだ。ホテルの宿泊料金は1泊1200人民元(約2万5000円)からという話だった。
実は特区内での主な流通通貨は人民元で、ラオスの法定通貨であるキープはあまり使われない。全ての価格表示が人民元建てだ。物価は通常のラオス領内や対岸のタイに比べ格段に高い。
街角は中国の田舎町をそのまま移植してきたかのようだ。徒歩で回ることができる中心部には、中国人が経営する飲食店、雑貨店、ホテル、マッサージ店などが軒を連ねている。看板は全て中国語簡体字だ。
ただ、特区が思惑通りに繁栄しているかといえば、決してそうではない。特区の常住人口は5万人で、中国人が半分を占めるとされるが、実際はもっと少ないように感じた。訪れたのが平日の昼間ということも関係しているかもしれないが、行き交う人はほとんどなく、ゴーストタウンに近かった。明らかに中国人客をターゲットにしているのだが、観光客は日帰りで対岸から訪れるタイ人が中心だった。現地で会ったタイ人観光客は「物価も高いし、見どころも少ないから日帰りする」と話していた。
特区の帝王の反論
特区を開発したのは、中国・黒龍江省出身とされる実業家の趙偉(ちょう・い)氏(推定71歳)で、黒い噂が絶えないいわくつきの人物だ。
米財務省は2018年1月 、趙偉氏率いる国際犯罪シンジケートがカジノ経営を隠れ蓑にして、麻薬取引、人身売買、資金洗浄(マネーロンダリング)、野生動物取引などの犯罪行為に及んでいるとして、制裁を発動した。
財務省は当時、趙偉氏が経営するカジノがヘロイン、覚醒剤の一種であるメタンフェタミン、その他麻薬類の保管、流通を支援しており、隣接するミャンマーで麻薬取引に関与しているとされる「ワ州連合軍」との関連性を指摘している。
当の趙偉氏はしばしばメディアの取材にも応じており、犯罪行為への関与を否定している。特区管理委員会の主席を務める趙偉氏は今月、中国の動画投稿サイトに掲載されたインタビューを通じ、特区に注がれる疑念に反論した。
「ゴールデントライアングルというと、(臓器売買で)腎臓を取られるだとか何とか言われているが、この地は平和でそういうことはない」「現在も一部薬物が出回っているが、観光業を薬物経済に取って代わる存在に育て上げたい」
今回の特区訪問は危険を冒さず、終始一般観光客として振る舞ったため、そうした犯罪行為の手がかりとなるような物証を目にすることはなかった。しかし、隣接するタイや中国などで特区を介したとみられる麻薬類の密輸が相次いで摘発されていることは事実だ。
電信詐欺の闇、掛け子の証言
最近新たに問題視されているのが、中国人を中心とする犯罪組織が東南アジア各地を拠点として展開する電話やインターネットを使った電信詐欺だ。
電信詐欺そのものも問題だが、旅行中に拉致されたり、言葉巧みに誘い出されたりした人たちが監禁状態で「掛け子」として強制的に働かされている実態が脱出者によって明らかになることも少なくない。監禁被害者は中国人だけでなく、台湾や東南アジア各地にも点在し、社会問題化して久しい。
かつてはカンボジアのシアヌークビルなどが詐欺集団の一大拠点とされたが、取り締まりが強化されたため、ラオスのゴールデントライアングル経済特区や、クーデター後情勢が流動化しているミャンマーの国境地帯などに活動がシフトしているとされる。
中国の公式メディアで報じられた一例を紹介しよう。昨年7月に特区から救出された四川省の男性(36)は、タイ・チェンライに開業した観光客相手の中国料理店で働けば、月収3万元(約62万円)になるという誘いを受けた。しかし、現地に向かうと、特区内に連れ去られ、旅券も携帯電話も没収された。そして、狭い部屋に6~8人で押し込められ、電信詐欺に従事させられたという。
男性は取材に対し、「仕事は翻訳アプリとSNSを使い、チャットで知り合った相手に機を見計らって架空の電子商取引を持ちかけることだった」と話した。ターゲットは主に中東や東南アジアに住む人々だったという。
男性は「毎日12時間、無給で働かされた。『業績』が上がらないと体罰を受けた。半年『業績』を上げられなければ、他の詐欺拠点に売り飛ばされる」と証言した。
事実、筆者が特区内を歩き回ると、市街地の北側に屏風のような集合住宅が何棟も立ち並んでおり、部屋ごとに大量の洗濯物が干されていた。そこは特区で働くミャンマー人やラオス人の宿舎であるかもしれないし、もしかするとこの建物のどこかで電信詐欺が行われているのかもしれない。
中国政府も事態を放置しているわけではない。中国のSNSを検索すると、中国各地の公安局がラオス国内に潜伏する犯罪容疑者に対する懸賞付きの指名手配を行っている。
中国公安省は2月28日、ラオス政府と共同で1月にラオス国内7カ所の電信詐欺拠点を急襲するなどして、容疑者268人を検挙し、全員の身柄が中国側に引き渡されたと発表したが、「氷山の一角」との疑いを拭い去ることはできない。
日本の外務省は「ボケオ県の経済特別区」を名指しし、「高額な報酬等の好条件を提示してラオスに渡航させた後、実際には自由を拘束し違法活動に従事させるという、外国人を被害者とする求人詐欺が多発している」として注意を喚起している。
韓国政府は「旅行禁止地域」に指定
こうした中、韓国政府は2月1日、韓国語通訳などの虚偽の求人で現地に渡航後、フィッシング詐欺、仮想通貨投資詐欺などに加担させられ、拒否すると監禁、暴行を受けたとの報告が相次いだことから、ゴールデントライアングル経済特区を「旅行禁止地域」に指定した。
特区を巡る最新の動きとしては、2月5日にボケオ国際空港が正式に開港したことが挙げられる。特区から東に約5キロメートルに位置し、中国企業によるBOT(建設・運営・譲渡)方式で建設された。2500メートル滑走路を備える。現在は首都ビエンチャンへの路線しかないが、年内には中国やタイへの路線開設も計画されている。
特区当局は観光業振興をうたってはいるが、現状はカジノ以外に観光資源は乏しく、頼みの中国人の集客には至っていない。中国から陸路だと、ラオス北部のボーテン国境から約280キロメートルの道のりを6時間かけて来る必要がある。
そもそも 中国人にとって、ゴールデントライアングルは2011年にメコン川を航行していた中国船舶が武装勢力に襲撃され、船員13人が殺害された惨事に加え、近年の電信詐欺報道によって、極度に治安が悪い地域と認識されている。
特区当局と事業権者の金木棉集団は、航空路の開設で中国各地とのアクセスが改善されれば、中国人客が増えると期待しているが、空港が観光需要の起爆剤になるかどうかは未知数だ。
今回特区を実際に訪れてみて感じたことだが、趙偉氏が特区にこれだけ巨額の投資を行いながら、未だに目玉のカジノホテルでさえ人影は疎らで、お世辞にも観光業が軌道に乗っているとは言い難い。それでも事業失敗に至らない背景には、何か裏の収入源でもあるのではないかと訝らずにはいられない。
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