イランの戦略変化の背景――「戦略的忍耐」修正とロシアへの傾斜を手がかりに
2024年6月25日

イランは長年開発を進めてきたミサイル・ドローンによる精密照準攻撃に自信を深めているようだ[イランの首都テヘランで、ミサイルの看板の前を通る市民=2024年4月22日](C)EPA=時事
本稿の関心は、イランは戦略を変化させたのか、そうであるとすれば変化の背景は何かの考察にある。
このような問いを立てる理由の一つは、4月13日夜、イランが史上初めてイスラエル本土に対し、300発以上のミサイル・ドローンを用いて報復攻撃を仕掛けたことである。イランがイスラエル側に事前通告していたこと、並びに、人口密集地を避けイスラエル側に死者を生じさせなかったことに鑑みれば、イランの行動は抑制的だったといえる。
他方、イスラエル本土に直接攻撃を仕掛けた点では、これまでの「戦略的忍耐」から逸脱したとみなすこともできる。さらに、イラン政府高官から核ドクトリンの修正を仄めかす発言も聞かれる他、エビラヒム・ライシ大統領がヘリコプター墜落事故で不慮の死を遂げるなか次期大統領選挙が6月28日に予定されるなど、イランの今後の動向が世間の耳目を集めている。
イランの「戦略的忍耐」とは何か
はじめに、イラン体制指導部(ここではアリ・ハメネイ最高指導者と治安機関・宗教界から成る中央権力を指して用いる)にとっての戦略(strategy)とは何かについて考えよう。
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