桜宮高校バスケ部体罰自殺事件を問い直す(下):絶対権力者を生む「ボランティアコーチ」依存
アメリカのスポーツ指導者は、選手に暴力を振るえば即、逮捕され、二度と指導の現場に復帰できない。その半面、手腕が評価されればキャリアアップにつながり、プロフェッショナルとして莫大な収入を得ることもできる。翻って日本の場合、大半の少年スポーツや部活動はボランティアコーチに依存しており、“善意”で自分の時間を犠牲にしている指導者に対し、子供や保護者が異を唱えにくい構造的な問題がある。
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現在30歳の谷豪紀が件の少年と出会ったのは、谷が3年生に進級したばかり、少年が桜宮高校に入学した直後のことだ。
「大阪府下で、無茶苦茶上手い子だと中学時代から有名でした。身長は172~173センチくらいでしたが、手足が長くて、ドリブルなんて目を見張るものがありました。ポジションは私と同じポイントガードです。技術があることを鼻にかけることもなく、謙虚な男でした。厳しい練習でめげそうになる同級生を励ましたりする姿も目にしました。1年生が試合に出ることは滅多に無いので、片付けがメインの作業になったりします。でも、率先して1年生の仕事をやっていました。その頃、私はもう干されていましたが、クロスドリブルの練習をやっていたら、『谷さん、それ教えてください』なんて聞きにきたこともあります。試合に出ていない3年生を見下すようなこともなく、人間としても出来ているなと感じていました。
彼は1年生の5~6月には、早くもベンチ入りしました。私が1年生の時にベンチに入れたのは、とりあえず出場メンバーである15名の枠を埋めておく必要性があったからでしたが、彼は実際に試合に出る可能性が間違いなくありました。我々の代はサイズが小さかったこともあり、層も薄かったんですが、彼の代は期待されていました。当然、小村もそういう気持ちだったでしょう。今後、桜宮高校のバスケ部を支えていくのは彼だろう。キャプテンも他には考えられない、という逸材でしたね」
小村はそんなホープに対し、死に追い込む指導しかできなかったのか。
「期待しているから殴るのではなく、一番殴りやすくて、暴行を加えた折に効果がある人間を叩いて支配下に置く、というのが小村のやり方です。強いチームを作るのではなく、自らに屈服させて意のままに扱う。自分に従うのが当たり前だという考えでしょう」
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警察を巻き込まないと事態は改善されない
少年が死を選んだ2012年12月23日、谷は大学受験を控えた浪人生だった。高校時代は勉強する時間を捨ててバスケットボールに打ち込んだが、この頃は新たな目標に向かって努力する日々を送っていた。
「事件直後は何も伝わってこなくて、公になったのは年明けのセンター試験前後でした。周囲も気を遣って、試験が終わるまでは私に知らせないようにしていました。でも、新聞に載りましたから、自殺者が出たことは知りました。ただ、名前は出ていませんでしたし、キャプテンと書かれていても、実際のところ誰なのか、明確には把握していませんでした。
逆に、まさか彼じゃないだろう、と。自分に強く、命を絶つようなタイプじゃないと感じていたんです。自殺というのは生きることが辛くなって、そういう選択をするものだと理解していました。だから、絶対に彼じゃないと思ったんですよ」
谷は苦痛に顔を歪めながら語った。
「亡くなる数日前に、彼が小村に提出しようとしたノートに書かれた内容が、事件後にメディアで公開されましたよね。あれを読むと、自分の命を懸けての抗議だったようです。それを目にしながら、私も高校2年の時に、大阪から四国に夜逃げしようとした記憶が蘇りました。もう耐えられない、行方不明になってやろうと考えたんです。
まともに口で戦ったところで、校内でのパワーバランスは変わらない。周りの先生たちも小村を庇うだけだ。警察を巻き込まないと事態は改善されない。心ある大人に声を聞いてほしい。自分は必死でやっているのに、味方になってくれる人がいないなんて、明らかにおかしい。当時、そんな知恵はありませんでしたが、自分が行方不明になれば、世の中が小村の暴行を問題にして動かないか……と朧気ながら感じていました。もっと、公平に自分を見てくれる人が必要だと。亡くなった彼と一緒で、高校2年の年末のことです。私の場合は、一人だけ親身になってくれた先輩がいて、“谷の様子がおかしい”と気付いて声をかけてもらうことで、ギリギリ踏み止まれましたが……」
「もう僕はこの学校に行きたくないです」
谷がニュースで見たノートに、少年は記していた。
〈なぜ、(一部略)僕だけがあんなにシバき回されなければならないのですか? 一生懸命やったのに納得いかないです。理不尽だと思います。僕は、今正直、何やっても無駄だと思います。キャプテンをしばけば何とかなると思っているのですか? 毎日のように言われ続けて、僕は本当に訳が分からないとしか思っていません〉
〈先生は僕に、専攻の授業前に、ポケットに手を突っ込む奴がいるから止めろと言いました。でも、次週の朝礼の帰りに、先生はポケットに手を突っ込んでいました。それは、言っている人は言ったことを守るべきではないですか? と僕は思います。僕は問題起こしましたか。キャプテンしばけば解決すると思っているのですか。もう僕はこの学校に行きたくないです。それが僕の意志です〉
彼の文章について、谷はこう話した。
「一生懸命やろうという生徒のポジティブな気持ちを踏み躙り、しばき回したこと。人にやるなといったことを、顧問自身がやっていること。小村の言動は筋が通っておらず、意味不明です。私が部にいた頃から、尊敬できる要素がまったく無い人間でした。それにもかかわらず、バスケ部の中で絶対的な存在としてふんぞり返っていて、部員たちを心身共に傷付けている。
彼はどうしてもそれが許せなかったのでしょう。私はそう受け取りました。小村に、『お前のやっていることはとんでもないことだぞ』と、命を断ってまで主張しようとしたのだと感じましたね。私の頃も小村は、さも生徒のことを見抜いていて、自分が厳しくも優秀な指導者であるような立ち居振る舞いをしていました。自身の指導に関して、3年間ただの一度も生徒からフィードバックを貰おうともしない。むしろ意見を述べる生徒には、殴る蹴るの暴力を繰り返していたんです。私は、厳しく叱責するだけの行為を指導とは思いません」
この手のコーチ、教師は、今でも日本にごまんといる。だが、自身の指導により死を選んだ生徒が出た場合、少なからず己の身の振り方を考えるのではないか。死者を出した指導者が、現場への復帰を希望すること自体、尋常ではない。
ただより高い物はない
筆者は2009年からバスケットボールの最高峰であるNBAを記者席から取材しているが、小村のような指導者に出会ったことは、ただの一度も無い。米国では、プロだろうが、学生のアマチュアだろうが、あらゆるスポーツにおいてコーチが暴力を振るった場合、即、逮捕され、二度と指導の現場に戻れない。それが社会全体の共通認識となっている。
また米国では、アメリカンフットボールやバスケットボールといった人気スポーツの指導者は、高校レベルでも外部コーチが圧倒的多数を占める。彼らはギャラをもらって活動する。大抵の場合、小中学生にあたる若年層の指導からスタートして、次のステップで高校生を教え、最終的には自身の手腕を買われてコミュニティカレッジ(短期大学)や大学でコーチのポジションを得ることを切望する。全米トップレベルの大学で監督の座を得れば、日本円で年間1億以上の報酬が支払われる。だから、キャリアの途中で「暴力監督」として消えていくことなど、望むはずもないのだ。
しかし、NBAより格段にレベルが劣る日本のBリーグや学生バスケ界では、今なお暴力指導が消えない。筆者は、その事実に何度も警鐘を鳴らしてきた。Bリーグでは、過去に島根スサノオマジック、愛媛オレンジバイキングスといったプロチームで暴力行為に及んだ監督を、ほんの数カ月の謹慎で復職させた実例がある。
また日本独自の奇妙なルールを持つ小学生のミニバスケットボールに至っては、競技はもちろん、他人の子供の育成に向き合ったことのないボランティアコーチを腐るほど目にする。児童も保護者たちも、“善意”で自分の時間を犠牲にしている相手に対し、不平不満は言い辛い。バスケットボールのみならず、日本のアマチュアスポーツ界には「ただより高い物はない」といった悪循環が止まらない。
2024年6月、子供と接する職場で働く人の性犯罪歴を確認できる、いわゆる「日本版DBS」創設を盛り込んだ「こども性暴力防止法」が成立した。これにより、刑の終了から最長20年間、性犯罪歴の有無の確認、就労の制限が可能になる。が、対象となる犯罪はあくまで性犯罪に限られ、同じく子供に対する暴力であり犯罪行為である体罰は含まれない。
日本バスケットボール協会が2018年に設けた倫理規程では、一度除名処分を受けた指導者でも10年経てば復権の申し立てが可能となっていた。とはいえ、今回の小村に対する指導者ライセンス再発行却下に関しては、同協会が至極まっとうな判断を下したといえる。筆者は2017年から、小村の師とされる人物を通じて何度か取材を申し込んだが、拒まれ続けている。ちなみに小村は、民事裁判で支払いを命じられた4300万円あまりの賠償金も、ごく一部しか支払っていないという。
谷へのインタビュー後、NBAの試合会場で撮影したスター選手の画像を何枚か彼に送った。
「バスケを好きだった気持ちを忘れないでほしい。いつか、本物を生で見るといい。あなたがいた世界とは全然違うよ」というメッセージを添えた。
谷は答えた。
「そうですよね。私は、バスケが本当に好きだったんですよ」
小村はこの声を、どう聞くのか。
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