シリアはロシアにとってアフリカ戦略の拠点であり、イランにとっては戦略と「抵抗」の前線だった[ハーフィズ・アル=アサド元大統領の銅像を引き倒す学生たち=2024年12月15日、シリア・ダマスカス](C)AFP=時事

 アレクサンダー・グレアム・ベルはかつて「一つの扉が閉じれば別の扉が開く」と言った。2023年10月7日のハマース軍事部門によるイスラエルへの越境攻撃は、イスラエルの大規模な報復――ジェノサイドと評価される一方的な大規模破壊・殺傷――の戦端を開き、平和的な二国家解決の機運は閉ざされた。また、テルアビブはガザへの侵攻のみならず、この「国家安全保障上の危機」を口実に、ヨルダン川西岸地区、レバノン(対ヒズブッラー)、イラン、シリア(対アサド政権)、イラク、イエメン(対フースィー派)の7正面作戦へと戦線を押し広げた。

 この地域を――少なくとも「アラブの春」の蹉跌以降――覆ってきた(下方硬直や縮小均衡と呼べるような)束の間の膠着状態は終わり、中東はいま、新たな地政学的現実に開かれた。ハマース軍事部門によるイスラエルの越境攻撃が、54年間続いたシリアの専制の終焉に連鎖することを誰が正確に予想できただろうか? そしてこの結末は、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻の余波でもある。では、この地域の地政学的布置はどう変わったのだろうか?

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