冷静沈着な大リーグ監督ドン・ワカマツの「誇り」

執筆者:ブラッド・レフトン2009年9月号

 メジャーリーグ史上初の日系人監督、ドン・ワカマツ氏(四六)が、イチローと城島健司の両選手が所属するシアトル・マリナーズを率いて奮闘中だ。新監督に指名されたとき、ハワイ出身だと思った人が多かったのではないか。第二次大戦後、日米両国のプロ球界に属した日系アメリカ人選手のほとんどがハワイ出身だからだ。一九七五年、初の日系米国人大リーガーとしてセントルイス・カーディナルスでプレーしたライアン・クロサキ氏もハワイ出身だった。 しかし、ワカマツ氏は太平洋岸、オレゴン州のフッドリバー生まれで、カリフォルニア州北部の育ちだ。戦前に米本土へ移民した曾祖父母から数えて四世に当たる(曾祖父は福岡出身)。 第二次大戦中、敵国の日本と米本土在住の日系米国人との繋がりを過度に恐れたルーズベルト政権は、日系の人々を強制収容所に入れた。一方、ハワイの日系人はそんな扱いを受けなかった。被収容者は十万人以上に上ったが、今やその子孫の代表的存在がワカマツ監督だ。一度は敵視され蔑視された日系人コミュニティにとって、米本土出身の日系人が監督の地位に就いたことは一大事なのである。 幼少期のワカマツ氏は、収容所が先祖の人生に落とした影を、あまり理解していなかった。だが成人後、父のリーランドさん(カリフォルニア州トゥールレイク収容所の生まれ)が深刻な顔で米政府からの賠償金の小切手を開封するのを目の当たりにした。その一生忘れえぬ光景を端緒に、祖父方のワカマツ家と祖母方のオカムラ家を合わせた十人以上の親族が、三年近くも強制収容所で辛酸を嘗めたことを知った。また、親族から少なくとも三人が、いわゆる日系人部隊に身を投じ、第四四二歩兵連隊に加わって欧州戦線でドイツ軍と戦ったことも知った。

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