「帰還困難区域につき通行止め」のバリケードがあちこちに立つ。今なお高い放射線量を測定してきた原告団の住民ら(左が木村さん)=2022年8月、浪江町津島(筆者撮影)
放射能汚染により帰還困難とされた区域について、政府・与党は個人の責任による立ち入り解禁を目指すという。全域が帰還困難区域に含まれる浪江町津島地区の住民らは、「元通りの生活」を取り戻すための除染を求めて国と東電を相手に裁判を闘っている。社会の関心が薄い中、当事者の思いとかけ離れた「復興」が進められることになりはしないか。四大公害病の一つ「イタイイタイ病」の前例のように、原因企業が責任を認め原状回復に合意することが最良の解決策に繋がると原告団は訴える。

バリケードを開放、未除染の森林で活動可能に

 東京電力福島第一原発事故から14年後の現在も高い放射線量が残り、立ち入り禁止とされる土地がある。福島県浜通りの被災地では、新しい街が形作られ「復興」の装いが進むが、その裏手に計309平方キロの「帰還困難区域」が広がる。しかし、個人の安全管理の上で立ち入りを自由化しようという自民党の提言が、政府の復興基本計画に組み込まれた。地元の声を踏まえたとするが、同区域で最大の面積を占める浪江町津島地区の住民たちは、国と東電に「ふるさとを返せ」と全域除染を求めて裁判を戦っている。その控訴審が大詰めを迎える中、原告らは、政府の方針は「除染の責任を放棄し、原発事故に幕引きをするもの」と異議を訴える。

 帰還困難区域への立ち入り自由化は、自民党の東日本大震災復興加速化本部(谷公一本部長)が6月4日に石破内閣に提出した「復興加速化のための第14次提言」に含まれる。福島の被災地を焦点に「次期復興・創生期間に向けた具体策」(2026~31年度)として、原発処理水の海洋放出の完遂、除染土の県外最終処分に向けた再生利用促進などとともに、以下のような“復興策”を打ち上げた。

1. 従来のような「区域」の立ち入り規制でなく、地域の実情に応じた放射線防護対策の取組みを柔軟に講じ、バリケ ードを開放するなど制限の緩和を行う。 

2. 個人の安全確保を大前提に、森林整備をはじめとする活動を再開していく。周辺住民の原発事故前の暮らしを回復できるよう活動の解禁を進めることを検討する。 

3. 日々の暮らしを送る中で「里山の恵み」等を享受できるよう、手つかず(筆者注:未除染)の森林においても同様の取組みを進めていくことも検討する。

 この提言について報じた全国紙はおろか、福島の地方紙でさえ、批判的な論調は目立たなかった。地元福島県も、〈この提言に盛り込まれた一つ一つの事項は、福島の復興・再生にとって極めて重要なものであり、いまだ多くの困難な課題を抱えている本県の実情や思いを丁寧に反映いただいたものと受け止めております〉という内堀雅雄知事の談話をホームページに載せただけ。そんな中、正面から異議を訴えたのが、当事者である浪江町津島地区の住民だった。

「津島は安心して戻れる環境にない。活動の自由化を口実に帰還困難区域をなかったものにし、なし崩しに避難指示解除を行うのではないか」

「山林の除染も行われておらず、放射線量の現状などの実態調査をして住民に公表すべきだ」

「被ばく線量の管理を個人に任せ、活動の自由化を認めるのは与党と政府の責任放棄だ」
津島住民の馬場績(いさお)さん(81)は提言提出の報を受け、福島県庁で議会会派に異議を伝え、記者会見して訴えた。

14次提言への異議を訴えた津島原告団の馬場さん=2025年7月、福島県大玉村(筆者撮影)

届かない「ふるさとを返せ」の声

 阿武隈山地にある津島は、全域(面積は山手線の内側の約1.5倍)が帰還困難区域となっている。津島の住民は2011年3月11日、約30キロ離れた福島第一原発の事故後、異常な放射線量を国から知らされぬまま、浪江の町場から逃れてきた約1万人を炊き出しや宿泊で支援した。原発で3度目の爆発事故が起きた15日になって全員が避難し、現在は県内外で離ればなれに暮らす。

「何も知らされず強い放射線下に捨て置かれ、離散を強いられ、ふるさとを奪われた」と全住民(約450世帯1400人)の半数近い659人が2015年9月から、国、東電を相手取り「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」を起こした。国策の原発による事故の当然の責任と、事故前の環境を取り戻す全域除染(原状回復)などを求め、仙台高裁での二審で14回の口頭弁論を重ねる。馬場さんは元町議で原告団の一人。全国の原発訴訟にはなかった帰還困難区域の住民だけの集団訴訟の母体、「津島地区原発被害の完全賠償を求める会」の共同代表でもある。 

 馬場さんは5月28日にあった13回期日の裁判の陳述で訴えた。「私は明治20(1887)年に入植した百姓の4代目。和牛繁殖や水田の整備で多額の借り入れをし、一粒のコメも取れぬ大冷害があり、火の車、命がけ、綱渡りの末、地区挙げての畜産振興を実らせた。住民が力を合わせ、むら興しに取組み、自然の恵みを分かち合う暮らしをしてきた」「いま一度、津島で田植えをしたい。安心できる津島に戻りたい。汚したものは元に戻してほしい」。

 14次提言が石破内閣に受理された後、復興庁は「帰還困難区域は最後の課題。与党の指摘の必要なものは政策に反映させる」、環境省は「やるべき内容を見ながら、一つの発想と受け止め反映させる」としていた(筆者取材)。しかし現実には、政府は6月20日に閣議決定した復興の基本方針(来年度から5カ年)の中で、「帰還困難区域において、バリケード等の物理的な防護措置を実施しない立入規制の緩和を行う」「住民が日々の暮らしを送る中で里山の恵みを享受できるよう、森林整備の再開を始め、『区域から個人へ』という考え方の下で、安全確保を大前提とした活動の自由化等(中略)について検討する」と明記し、提言を丸のみしていた。マスコミや世論の関心が薄い中、当事者の「汚したもの(ふるさと)は元に戻して」との思いとかけ離れた「復興」が進められることになるのか。

「国は、除染の責任を放り捨てた、被災地の実態を見えなくし忘れさせようとしている、と受け止めざるを得ない」。津島原告団の今野秀則団長(78)は厳しい表情で語った。
9月初め、取材に訪ねた津島地区・下津島にある木造総二階の旧松本屋旅館。現在、同県大玉村に避難生活を送る今野さんにとって、曽祖父が百年ほど前に開業した松本屋は実家である。国から解体を迫られた期限の昨年4月を前に「先人、家族、仲間との絆の証をなくせない。帰還の日のために」と残す決意をした(今年3月11日の記事『原発事故から14年、「帰還困難区域」浪江町津島の住民が裁判で訴え続ける「ふるさとを返せ」』参照)。

注・津島では2023年3月、下津島などの153ヘクタールが復興庁から「特定復興再生拠点区域」に指定され、除染と避難指示解除が行われ、住民交流施設と町営住宅が整備された。復興拠点外でも、将来の帰還希望を条件に公費解体を行う制度も始まったが、拠点の範囲は地区全体の1.6%に過ぎず、商業、医療の施設もない。自費なら1000万円を超える解体費用に悩んで申請した人も多く、現実に、戻った住民はわずか。国が住民個別の判断を迫ったのは、原告団が求める全域除染に応じず「幕引き」し、仲間を分断する意図があるのでは、と住民は感じたという。

大詰めの裁判を話し合った原告団総会でマイクを握る今野さん(中央)=2025年6月22日、二本松市(筆者撮影)

「山の恵みを楽しむというが、地区の大半である未除染の場所の放射線量はまだ高い。バリケードがあって人は危険を知るが、それを撤去し、安全への国の責任も放り出すなど、許されるのですか」。今野さんらは問題を訴える行動について協議をしたが、参議院選が迫り、「マスコミも取り上げてくれるか期待できない」と断念した。「残念ながら今の現実です」。

イタイイタイ病では原因企業が責任を認めて優良農地を回復

 原告団は全域の放射線量測定を継続してきた。長年の支援者、獨協医科大学准教授(放射線衛生学研究室長・兼福島分室長)の木村真三さん(58)は裁判のため、荒れた家々や山林の定点測定を住民と重ねてきた。年間40ミリシーベルトの高線量に達した定点もある。

 木村さんによると、労働安全衛生法には放射線から労働者を守るため電離放射線障害防止規則がある。被ばくの線量限度や管理区域の設定などに基準を設け、事業者に安全管理を義務付ける。規則が除染作業員らを守り、自営や個人の事業者、ボランティアにも準用される。だが、帰還困難区域での安全確保が「個人」に委ねられれば、誰からも守られなくなるリスクが生じるという。「放射線量はまだ高く、山菜採りなど無防備な立ち入りも出る。提言は専門家に検討されたのか、明らかにしてほしい」。

旧松本屋旅館の前で話し合う原告団長の今野さん(左)と木村さん=2025年9月5日、福島県浪江町津島(筆者撮影)

 津島訴訟は次回9月19日、長谷川公一盛岡大学長(公共社会学)が証人尋問に立つ。この冬に結審、来年5、6月にも判決が出るものと弁護団はみている。一審判決は、原発事故に関する国、東電の過失責任と損害賠償を認めたが、原状回復については、所有地や居住地の範囲を超える地区全域の放射性物質除去を求めることはできないとして却下した。
だが、今野さんは「家々から里山まで日常一体の生活圏。私たちの暮らしがあった」と話す。「ふるさとの原状回復」とは単に除染でなく、「土地に根差し平穏に暮らす権利と、津島本来の地域社会を取り戻す」ことだという。今野さんは各集落で二百余年継承された小正月行事「津島の田植え踊」の踊り手であり、伝統喪失の苦悩もこの裁判への、そして歴史ある松本屋を守る理由でもあった。

 一方で避難生活の歳月は14年に及び、住民の多くが高齢になった。早期により良い解決の道が見つかるなら「和解も含めた和戦両様で臨みたい」(小野寺孝利弁護団共同代表)という。前述の木村さんはこの夏、富山県でイタイイタイ病の歴史を調査した。亜鉛精錬排水のカドミウムにより神通川流域に腎機能障害と骨粗鬆症の患者が多発し、506人もの住民訴訟が1972年、原因企業の三井金属鉱業に勝訴。三井側と健康被害の賠償・土壌汚染の対策の誓約、公害防止協定を結んだ。注目したのは、汚染米を生んだ農地の土壌回復工事だった。

 実験を重ねた末、表土をはぎ取り汚染度に応じて①深い溝を掘って埋め、耕盤土、客土を重ねて耕す(埋込み客土工法)、②耕盤土、客土も掘って中抜きし、汚染土を下層に入れて耕盤土、客土を上に乗せる(上乗せ客土工法)――を用い、33年掛かりで863ヘクタールを優良農地に復元した。総工費407億円の4割を三井側、残りを国、県、市町村が分担した。

「四大公害病の一つだったイタイイタイ病は完全に克服された。放射性物質との違いはあるが、原因企業が責任を認め、原状回復に合意してくれれば、最良の解決策が生まれるという現実の例だ。被告の東電、国、裁判所にも知ってもらい、津島の原告たちの願いをかなえてほしい」。木村さんはこう語り、調査結果を意見書にまとめて裁判所に提出するという。

 

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