魚雷バットを使用する打者の成績も例年通りに落ち着いている[魚雷バットを使用するニューヨーク・ヤンキースのオースティン・ウェルズ選手=2025年3月27日](C)AFP=時事

 メジャーリーグで話題になった「魚雷バット」は、インコースが苦手な打者の弱点をカバーして開幕当初はホームランを量産した。しかし、データが蓄積され相手バッテリーが対策することで、採用した選手も次第に例年通りの成績に落ち着いていった。データの活用は用具や戦術の進化を支えているが、使い方次第では野球の魅力を損ないかねない。イチロー氏が「感性が消える」と危惧するように、マイナーリーグではデータを意識しすぎた没個性的な選手の姿も目につくようになっている。

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 今季はじめ、トルピード(魚雷)と呼ばれるバットがメジャーリーグベースボール(MLB)を席巻した。魚雷バットは従来のバットのように先端に向けて次第に太くなるのではなく、先端から10cmから20㎝の部分を最も太くし、先端にかけてまた細くなるといった形状である。特にニューヨーク・ヤンキースで複数の選手が使用し、開幕からホームランを量産するなどの好結果が見られた。ヤンキースのジャズ・チザムJr.選手は「いつものバットと違和感はなく、少し助けられている感覚がある」と話し、自然なフィーリングで使える点を評価していた。同僚のアンソニー・ボルピ選手も同様にその効果を語っていた。

 このバットの発明者は、現在マイアミ・マーリンズのフィールド・コーディネーターを務めるアーロン・リーンハート氏で、MIT(マサチューセッツ工科大学)で物理学の博士号を取得した経歴を持つ人物だ。打者たちの「コンタクトしたいゾーンとバットの太い部分が一致していない」という気づきから、彼は「スイートスポット周辺に質量を集中させる」というコンセプトのもと、この新たなバット産み出した。

インコースは打ちやすく、外へ逃げるスライダーはひっかけやすい

 筆者は大学で主に野球選手の動作分析を研究しており、その観点から「魚雷バット」について考察してみたい。形状による影響は重心の位置に表れる。筆者の手元にある木製の魚雷バットの重心を計測すると、グリップから約53㎝のところにあった。一方、同じ長さの通常の木製バットは、グリップから約60㎝の位置に重心がある。魚雷バットのほうが重心がグリップ寄りにあるため、同じ重さなら軽く振りぬきやすい感覚となる。つまり慣性モーメントが小さい(=回転しやすい)。インコースが苦手で打球が詰まりやすい打者でも、しっかりと対応して打てるので、魚雷バットは打ち出の小槌のように感じることができるだろう。

 しかし、よい面があれば悪い面もある。振りぬきやすい=バットが返りやすいということで、魚雷バットは逆方向への打撃がしにくいのが特徴だ。特に体から離れていくスライダーのような変化球では、意に沿わずバットが返ってしまい、いわゆるひっかけたゴロが多くなる可能性がある。

 つまり、バットを変えることで打てなかった投球が打てるようになる反面、打つことができていた投球が打てなくなることもある。打席の中でどの球種を待つのか、逆にどんな球を打たないように心がけるか、といったマネジメント自体を変更する必要があり、打者は混乱しやすくなる。そのため、魚雷バットを導入した打者も、相手投手や自分の調子によって通常のバットと使い分けているのが現状であろう。また、こうした魚雷バットの特徴を相手バッテリーも理解して対策し始めたため、開幕から半年ほど経った現在、魚雷バットを使用する打者も例年通りの成績に落ち着いている者が多い。

「感性が消えていく」――イチロー氏の警鐘

 現代のMLBや日本野球機構(NPB)の球団は、プロ野球経験者を中心とした職人的技術者のみによる組織ではなく、これまでは野球界の外にいた、統計学や心理学といった知見を有する人たちも加わった異業種混合の組織となりつつある。この流れは『マネーボール』で有名となったGM(ゼネラルマネージャー)のビリー・ビーン氏が、従来のスカウトや監督の経験則に頼る選手評価ではなく、統計学者ビル・ジェームズ氏らが提唱するセイバーメトリクス(野球の統計解析手法)を活用したチーム戦略で快進撃を続けたことに始まる。その後、一球データと呼ばれる配球図の可視化や、解剖学や工学の知見であるバイオメカニクスを活用した選手の動作改善など、現在の野球におけるデータ活用への流れが続いている。

 手作業でデータを集めていた野村克也氏の「ID(インポート・データ)野球」の時代から、高度な測定機器を用いてリアルタイムで算出される膨大なデータをコンピューターで素早く処理して活用する時代に移った。各球団が統計学やバイオメカニクスを学んだ専門家を雇用するようになり、筆者の研究室のOBも20名ほどがプロ野球や社会人野球でアナリストとして活躍している。

 測定機器の性能向上も著しい。軍用の追尾レーダー技術を応用した「トラックマン」などが計測したトラッキングデータは、試合中もリアルタイムに投手の「投球の質」の改善に貢献し、打者にとってはホームランになりやすい「最適な打球」の追求につながっている。さらに現在では「トラックマン」は、球場に設置された複数の高精細カメラによる「ホークアイ」に置き換えられている。「ホークアイ」では、投手が一球投げるごとにフィールドにいる選手の動きが数値化される。分析者としては、一球ごとに算出される膨大な量のデータを見極め、いかに活用するかが課題である。

 ところで、今年、米国野球殿堂入りを果たしたイチロー氏が、以前とあるテレビ番組で「データでがんじがらめにされて、感性が消えていくのが現代の野球」と発言した。野球選手は経験に基づく直感からプレーを生み出している。特に打者は、投手がリリースしたボールがホームベースに届くまでのわずか0.4秒ほどの間に、打つかどうかを判断し、体に指令を出して打撃するため、熟考する暇はない。

 筆者はアナリスト候補生に、こうした選手の感覚へ寄り添うことがいかに大切であるかを説いている。野球を生で観ることを大切にし、できれば下手でもいいのでバッティングセンターに行って、実際にボールを打つことを奨励している。もちろん、それでプロ野球選手の感覚を得られるわけではないが、打撃の難しさを知ることで、生身の人間がデータを活かすことは容易ではないと体感してもらう。

 アナリストの立場になると、膨大なデータの中から有用な指標を導き出すことがゴールになりがちである。だが、実際は、導き出されたデータを出発点として、コーチ、トレーナー、選手とともに考えるきっかけとして使うことが重要である。

OPSを意識して同じ打ち方になるマイナーリーガー

 長らく打撃指標の中心だった「打率」というデータは、長打やよい当たりのヒットとポテンヒットが同格として扱われるという問題がある。同じく「打点」も、走者がいる状態で打席が回ってくる機会は平等でないので、打者を評価する指標として完璧ではない。

 こうした欠点を補うべく、セイバーメトリクスでは様々な選手の能力を正しく評価する指標が開発されてきた。もっとも有名なOPS(On-Base Plus Sluggingの略)は、自チームの得点との関係性が大きい長打率と出塁率の和として表される。OPSが高い打者ほど、得点の創出を期待できると考えられる。MLBでは0.8を超えるとよい打者と評価されるが、大谷翔平選手は現在、1.0を超えている。単純ながら活用しやすい指標は有用度が高い。

 球団によっては、OPSを選手育成にも活用するようになった。しかし、本来は結果を評価するためのデータが、目指すべき数値(=目的)に転じてしまうと、過剰適応という問題が生じる。筆者が2023年にマイナーリーグを視察した時も、何ともいえない違和感があった。マイナーリーグの打者のほとんどが、同じ構え方をして、同じ打ち方をしていたのだ。頭をあまり動かさず(出塁するためボールを見極める)、さらには打球角度を上げる(長打を増やす)ように打っていた。これはまさにOPSを向上させる目的の打ち方である。

 かつてのアメリカの野球は、ジェフ・バグウェル氏やフリオ・フランコ氏のように、個性的な構えからスイングする選手たちが人間離れした打球を放つイメージであった。筆者が見たマイナーリーグには、それとは正反対の、同じスタイルでスイングする没個性的な選手たちの姿があった。これは先ほどのイチロー氏の言葉ともリンクする。野球はチームスポーツではあるが、投手対打者の1対1の個性のぶつかり合いも醍醐味である。データ野球の行きつくところが没個性的な野球となるのであれば、こんなに味気ないものはない。

 長年野球のデータを扱ってきた者として、データ野球をさらに昇華させたところを見てみたい思いもある。だが、データ活用の目的は、選手たちを平均値や回帰式のラインに乗せることではない。見たこともないプレーを見せるのは、むしろ外れ値のような位置にある選手だ。未踏の地にたどり着きうる選手の出現を夢見ながらデータの活用を進めていくことが、人々を魅了し続けるスポーツとしての野球の発展につながると信じている。

  • ◎川村卓(かわむら・たかし)

筑波大学体育系教授、同大学硬式野球部監督。1970年、北海道生まれ。筑波大学、同大学院体育研究科修了。博士(コーチング学)。北海道の公立高校で野球部監督を経験後、2000年に筑波大学硬式野球部監督に就任し、2018年明治神宮野球大会出場を果たす。主にスポーツ選手の動作解析の研究を行う。著書に、『新しい高校野球の教科書』(カンゼン)、『バッティングを科学する』(日東書院本社)、『最新科学が教える! バッティング技術』(エクシア出版)など多数。

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