アルゼンチンのインフレ退治は「奇跡」と呼ばれる一方で、庶民の生活は逼迫している[2025年9月23日、トランプ大統領とニューヨークで会談し「全面的な支持」を取り付けたアルゼンチンのミレイ大統領](C)AFP=時事

 

急接近する2つの「MAGA」

 米国は1823年1月、後にアルゼンチンとなる「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」と外交関係を樹立し、南米諸国との関係構築に先駆的な一歩を踏み出した。それから約2世紀、両国の関係は接近と緊張を繰り返しながら、複雑な軌跡を描いてきた。

 第二次世界大戦期には、アルゼンチンが中立を堅持し、1945年3月までナチス・ドイツへの宣戦を見送ったことで、米国は外交的圧力を強めた。これは、米州の安全保障と対枢軸包囲網の形成を重視する米国にとって、同盟的協調を欠く姿勢と映ったためである。

 1982年のフォークランド紛争では、米国は同盟国イギリスへの支援を優先し、衛星情報や軍事物資の提供を通じて側面支援を行った。これに対し、アルゼンチンは米国の中立性に疑念を抱き、地域の友邦としての尊重が欠けているとの不満を露わにした。米国の支援が戦局に影響を与えたこともあり、両国間の信頼は一時的に冷え込んだ。

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