派閥の存在こそが自民党長期政権の秘訣――「理と情の人」渡邉恒雄にみる政治学(下)
2025年10月11日
今回の総裁選においては唯一残った派閥としての麻生派が無視し得ない影響力を示した[2009年1月7日、新年互礼会で談笑する当時の麻生太郎首相(右)と渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役会長=東京・帝国ホテル](C)時事
「議論の本位」とは何か
福澤諭吉の『文明論之概略』(明治8年)は『学問のすゝめ』と並んで、福澤の代表的な著作であり、「日本の文明開化の決定的な礎石」(歴史家・神山四郎)と位置づけられている。福澤はこの書で、西洋の事情を紹介することを超えて、西洋と日本の文明を比較しながら、自国の独立と民心の伸張の重要性を説いた。その巻之一の第一章に「議論の本位を定る事」を掲げている。
軽重、長短、善悪、是非等の字は、相対したる考より生じたるものなり。軽あらざれば重ある可らず、善あらざれば悪ある可らず。故に軽とは重よりも軽し、善とは悪よりも善しと云ふことにて、此と彼と相対せざれば軽重善悪を論ず可らず。斯の如く相対して重と定り善と定りたるものを議論の本位と名く。都て事物を詮索するには、枝末を払て其本源に遡り、止る所の本位を求めざる可らず。(中略)議論の本位を定めざれば、其利害得失を談ず可らず。
福澤が引用文の前段で説いているのは、「価値判断の相対性」(丸山真男『「文明論之概略」を読む』岩波新書)であり、後段では、議論するにあたっては、何が本質的な問題なのか、何が優先されるべきかという「本位」を定めなければならないということである。私にとって政治を議論する際、この一文は常に肝に銘ずべき指針だった。
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