ロシアとの「文化交流」を推進する日本は既に政治的な代償を払っている[プーチン大統領(左)から文化勲章「プーシキン・メダル」を授与された栗原小巻氏(右)=2025年11月4日、ロシア・モスクワ](C)EPA=時事
制裁下の「民間外交」
2025年9月、ロシアのウクライナ全面侵攻を受けて日露政府間関係が停滞する中、日本財団の笹川陽平名誉会長が訪露し、ロシア正教会キリル総主教らと会談、「ロシアの知識人でつくる団体」ヴァルダイ討論クラブと学術交流に関する覚書を交わしたと報じられた。笹川氏はモスクワの在露日本大使公邸での会見で「民間レベルで教育や文化、芸術を通じた両国交流を続けることが重要だ」と訴えた24。
一方、ロシア側から見える風景は異なる。侵攻後、欧米や日本は外交官カバーで活動するロシアの諜報員を多数追放した。こうした状況で、ロシア情報機関にとって民間・文化交流チャネルの戦略的価値が相対的に上昇している。
先例は冷戦期にもある。1968年のチェコスロバキア侵攻、1979年のアフガニスタン侵攻を受けて、東西関係は冷却化したが、一部の西側知識人はソ連との学術・文化交流を継続した。諜報員養成のための国家保安委員会(KGB)の教本『諜報活動への訪問団及び観光の利用』は次のように指摘する。
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