日本政府はミャンマーをロシアや中国の側に追いやることを恐れていた[クレムリンで会談したロシアのプーチン大統領(右)とミャンマーの軍事指導者ミン・アウン・フライン上級大将(左)=2025年3月4日、ロシア・モスクワ](時事)

民主党政権時代に深まったミャンマー少数民族との関係

服部龍二(以下、服部) 「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」でのご活動についてお聞きします。議連は35年ぐらいの歴史があるそうですが、設立の経緯や、2021年の軍事クーデター前までの活動について伺えますか。

中川正春(以下、中川) 議連ができたきっかけは、アウンサンスーチーの活動への支援が目的だったと思います。超党派の議連で、中道的な考え方を持つ人たちの集まりでした。私は途中から会長という立場で議連を引っ張ってきましたが、会長就任当時は、比較的民主化の方向に向かっていたテイン・セイン政権をどう支援していくかが課題でした。

中川氏は、日本のNGOはニーズのあるところに具体的な形でコミットできていないと指摘する[この写真は今回のインタビュー時ではなく2024年11月8日に撮影](C)時事

 この議連の他には、自民党議員を中心とした「日本・ミャンマー友好議員連盟」や、先日亡くなられた渡邉秀央さん(元郵政大臣)のグループ(「日本ミャンマー協会」)、日本財団などがあり、彼らはどちらかと言えば軍事政権と密接につながりを持ちながら、ミャンマーに対するODA(政府開発援助)を主導してきたのだと思います。バゴー橋の建設や鉄道の再生、ティラワ工業団地開発といった大規模インフラ建設などを中心に、民主化の流れを支える支援体制がありました。

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