「資源のない日本」が地経学的パワーを手に入れるための条件
「経済の武器化」が常態化した新たな世界で、日本は必ずしも恵まれた立場に立っていない。国家の経済安全保障ではその国が他国に代替されないことが重要だが、資源という“不可欠なモノ”に乏しく、人口減少で“不可欠な市場”としての影響力も低下しつつある日本は、地経学的パワーポリティクスに戦略的に臨んで活路を開く必要がある。(鈴木一人氏の講演内容(2025年10月21日、経団連で開催)をもとに、編集・再構成を加えてあります【構成・梶原麻衣子】)
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国際秩序は大きく変わりつつある。自由貿易が生み出したグローバル化と経済の相互依存が進み大国間での戦争のコストが高まったことによって、戦後は長く平和な時代が続いてきた。だが、今度はこうした相互依存を利用することで、相手に対して自国の要求を通そうとする「経済の武器化」が行われる時代になった。各国が対応に追われる第二次トランプ政権の「相互関税」政策は、まさにその変化の表れだろう。
経済安全保障の概念もこうした「経済の武器化」に対処すべく生まれてきたものだ。これまで政治とは切り離されてきた経済のパワーバランスが、国家の外交や安全保障を直に左右する時代に入ったと言える。筆者は2025年9月に『地経学とは何か』(新潮選書)を出版したが、この「地経学」とは地政学に経済安全保障の概念を掛け合わせたものだ。その国にある経済的資源に着目し、国家が国際秩序の中でどのような役割を果たすかを考える概念を指す。
経済安全保障には大きく分けて二つの考え方がある。「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」である。
企業・消費者は「戦略的自律性」のコストを丸抱えできない
「戦略的自律性」とは、自分たちの経済や産業、国民生活における重要な物資や製品に関して、自国内で生産を完結させる、ないしは信頼できる相手国との取引によって供給を安定させることにより、経済面での自律性を保つことである。
経済の武器化が行われる時代には、特定の相手に依存することが相手の強みになり、それを武器に政治的・経済的な要求を飲むよう迫られかねない。これを防ぐために、供給元の多角化などが必要になる。
日本が戦略的自律性を強く意識させられることになったのは、2010年の尖閣沖中国漁船衝突事件がきっかけだった。船長を拘束するという日本側の対応に反発した中国が、対日レアアース禁輸を打ち出すことで、政治的圧力をかけた。当時、日本はレアアースの輸入の85%を中国に頼っていたことから、禁輸が政治を動かす武器として使われたのである。
日本はこれを機に、マレーシアやベトナムにレアアース精錬工場を作るなどして中国への依存度を低下させてきた。だが、それでも現時点で輸入の6割以上を中国に頼っている。さらには、米中の経済摩擦においても中国はレアアース輸出管理の強化を図っており、日本はその影響も受けざるを得ない。
今後、日本がさらに戦略的自律性を高めるには、中国以外の国への追加投資が必要になる。多少のコストをかけても複数の供給先を持ち、サプライチェーンを強化しておく必要があるためだ。ただし、そうして作られたレアアースは必ずしも中国製のものよりも価格が安いわけではない。サプライチェーンの強化はいわばいざという時の「保険」だが、その「保険料」の支払いを企業や消費者にのみ負わせることはできず、持続性にも問題が生じるだろう。戦略的自律性を手に入れるためには、こうしたコストをいかに政府が負担するかが大きな課題となる。
「戦略的不可欠性」の二つの意味
他方で「戦略的不可欠性」には二つの意味があると考えられる。
一つは「モノの不可欠性」だ。これは「この国、この企業でしか生産できないモノ」を持っていることを指し、中でも生産や輸出が止まれば、その下流にあたる産業が軒並み身動き取れなくなるような原材料や製品が当てはまる。
台湾は国際市場でまさに半導体の戦略的不可欠性を有している。仮に台湾が侵略されれば世界中の半導体供給が止まり、下流にある産業も軒並みストップせざるを得ず、世界経済に大きな打撃を与えることになる。台湾はこの不可欠性を持つことによって、中国に匹敵する軍事力を自ら備えることができなくても、他国が守らざるを得ない状況を作り出している。
小さな力で大きな影響力を得ることができるという、いわば、サプライチェーンのチョークポイントを押さえているといえよう。こうした現状は「シリコンシールド(半導体の盾)」とも呼ばれている。
戦略的不可欠性のもう一つは、「市場の不可欠性」だ。
冒頭でも触れた通り、第二次トランプ政権は発足直後から「相互関税」政策を取り、他国に対して高い関税をかけている。なぜトランプ政権がこのような強硬策に出るのかは、この「市場の不可欠性」を押さえることで理解が進む。
『地経学とは何か』の終章「トランプ時代の地経学」でもこの問題について触れているが、トランプ政権はいわば「アメリカ市場でモノを売りたければ高い入場料を払え」と言っているに等しい。つまり、市場の不可欠性をテコにして関税交渉を行い、政治的にも優位に立つという手段を取っている。
なぜアメリカが他国に高い関税を要求できるかと言えば、その国にとってアメリカ市場が必要不可欠だからである。たとえば日本の場合、アメリカ市場における日本車の販売で得ている利益は大きい。アメリカ市場を失うわけにはいかないからこそ、日本は関税交渉において5500億ドルの投資を約束して関税を下げる交渉を行ってきたのである。
「市場の不可欠性」を武器化する中国
トランプの「相互関税」はある種の暴力的な力の行使なのだが、こうした「市場の不可欠性」を武器としてきたのはトランプのアメリカだけではない。
EU(欧州連合)は「指定された化学薬品を使った製品や、環境基準が満たされていないものはEU市場で販売できない」「生産過程に児童労働が含まれる製品は販売禁止」などの厳しい規制を定めている。こうした欧州の規制を使ったパワーは後に「ブリュッセル効果」と呼ばれるようになった。市場の不可欠性という地経学的パワーを使って領域内の産業を守っている点で、EUはアメリカと変わらないとも言える。
さらに近年では、中国も市場の不可欠性を意識し始めている。たとえばデータ保護では、中国市場に参入したければ中国の国内法を守り、当局の指示に従ってデータを提出するなどのルールを守らなければならないとの規制を設けている。
このように各国は、市場の不可欠性を武器として使い始めているのだが、トランプの場合は関税、ひいては市場の不可欠性に対する過信も見える。
市場の不可欠性は、経済の相互依存があってこそ生じるものだ。そのためアメリカ市場に依存していない国にとっては、当然ながら市場の不可欠性も効力を発揮しない。また、中国やロシア、北朝鮮のように権威主義的な体制を取る国には、もとより経済的な圧力がかかりにくい。
ここは経済安全保障や地経学の重要なポイントで、なぜ経済の武器化に効力があるかと言えば、市場に経済的圧力をかけた際に真っ先に影響が出る企業、つまり国民が悲鳴を上げれば、民主主義国家の場合は早急に対応を迫られることになるからだ。一方、権威主義的国家の場合は、国民の反発があってもこれを抑圧し、政府への批判は無視することができる。もちろん長期的には経済的な影響は免れないものの、日本のような民主主義国家とは事情が異なっている。
さらに中国は、第一次トランプ政権時の米中関税戦争以降、かなりの対策を打ってきている。それ以前はアメリカ市場に大きく依存し、輸出入の割合も増えていたのだが、その後はサプライチェーンの多角化に乗り出し、米国依存の割合を低下させてきた。
中国はかつてアメリカ産の大豆に依存していたが、米中関税戦争を経て、現在は主な輸入先をブラジルに切り替えている。アメリカから「大豆を輸出しない」と圧力をかけられても致命的な影響が出ない対抗力を備えたことになる。あるいは中国がアメリカに輸出してきたレアアースにしても、戦略的に独占的な位置を保ちながらアメリカへの依存度を減らしてきた。それによって中国は戦略的自律性を高めており、同時にモノ・市場の不可欠性も高めるという地経学的なパワーの蓄積を図ってきたのである。これは中国の軍事的プレゼンスと同様、経済面で注目すべき点と言える。
日本の活路は「ペンホルダー」に
こうした状況下で、日本はどうすべきなのか。日本は現在、地経学的パワーポリティクスを成立させづらい状況にあることをまずは認識すべきだろう。
戦略的不可欠性に関して言えば、日本は自動車産業が強いものの、消費者から見れば、必要なのは「車」であって、必ずしも日本車でなければならない理由はない。戦略的不可欠性は、産業政策とは違った次元で判断する必要がある。その観点からすれば、資源のない日本はもともとモノの戦略的不可欠性を持ちづらい国であることを踏まえたうえで、研究開発等を通じて新たなイノベーションを起こし、国家としてモノの不可欠性を獲得するための戦略を打ち立てなければならない。
そして日本がやるべきもう一つの施策は、日本が不可欠性を獲得し得る市場を、自ら作りだすことだ。内需が減少しつつある日本が一国で市場の不可欠性を達成することは難しい。だが、CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)のように周辺を巻き込んで一つの市場を作っていくことは可能だ。まさにEUがそうであるように、共通したルールや市場を作ることで、加盟国全体での市場の不可欠性を持つことができるだろう。
その際に重要なのは、「ペンホルダー」つまり自らルールを作る原加盟国になることだ。そうすることによって不可欠性のある市場を形成しつつ、自国にとって有益なルールを制定し、加盟国を選別することも可能になる。市場に加わりたい国にルールを課すことでレバレッジをかけることもできる。
日本ではルール制定者、つまりペンホルダー側に回ろうという意識がこれまであまり強くなかった。だが地経学的観点においては、周辺国も含めて安定した国際関係を自ら構築し、その域内でルールに基づく国際秩序を創造し、維持することをパワーに変えていく発想が必要になる。
◎鈴木一人(すずき・かずと)
東京大学公共政策大学院教授、国際文化会館「地経学研究所(IOG)」所長 1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授、北海道大学公共政策大学院教授を経て、2020年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書に『地経学とは何か-経済が武器化する時代の戦略思考-』(新潮選書)、『資源と経済の世界地図』(PHP研究所)、Policy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、編・共著に『米中の経済安全保障戦略』『バイデンのアメリカ』『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』『ウクライナ戦争と米中対立』など多数。
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