私にとってイスラーム研究者とは常に気を重くさせる存在である。理由は単純で、彼らにアメリカを批判されると沈黙するほかないからだ。 むろん、アメリカを研究することとアメリカを擁護することは違う。巷では「アメリカ研究者=親米派」という誤解があるようだが、例えば、アメリカ学会などではアメリカの中東政策に批判的な論調が支配的だ。イラク開戦の際には、百名以上の会員有志が「不支持」の声明に署名したほどである。 しかし、イスラーム研究者の側から「アメリカ帝国主義」「欧米中心主義」という言葉が発せられると、その時点でアメリカに関わるニュアンスある理解はすべて葬り去られ、思考と対話は停止してしまう。イスラーム研究者との間に流れるそんな絶望的なまでの沈黙が惜しく、かつ堪え難いのだ。「アメリカのイスラーム報道は偏向している」と批判される。では、イスラームのアメリカ報道は偏向していないのか。「アメリカはイスラーム教徒を敵視している」と糾弾される。では、アメリカが一九四〇年代後半と五〇年代にフランス領北アフリカの反植民地主義者に対して与えた支援はどう説明すれば良いのか。個人的なイスラームへの思い入れの強さからか、研究対象として十分に客体化されていない議論を目にすることも少なくない。とりわけイラク戦争以降は、世界的な反米・嫌米のムードと相俟って、こうした傾向が助長された印象を受ける。

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