「恩師」をロールモデルにした野球人バレンタイン

執筆者:ブラッド・レフトン2009年12月号

 千葉ロッテマリーンズの前監督、ボビー・バレンタインは、疲れ知らずだ。アメリカに帰国早々、全米ネットのテレビ局で解説者として多忙な日々を送っている。しかし彼は、ロッテでの最後のシーズン中に訪れた、「個人として最高に満ち足りた瞬間」を決して忘れることはない。二〇〇九年九月十一日、3対2で日本ハムを下した勝利が、監督としての日米通算千六百勝目となったのだ。 日本の野球史でも、これほどの勝利数を記録した監督は三人(鶴岡一人、三原脩、藤本定義)だけ。だが千六百という節目にはより深い意味があった。この一勝で、恩師であるロサンゼルス・ドジャースの殿堂入り監督、トミー・ラソーダの通算勝利数を上回ったからだ。ラソーダは、野茂英雄がドジャースに入団したときの監督でもある。野茂の力を認めて積極的に起用し、新人王への道を開いた。日本球界との関係も深く、日本人にとっても「忘れられない監督」だ。 一九六八年、バレンタインは一位でドジャースにドラフトされる。マイナーリーグで出会った初めてのプロの監督がラソーダだった。メジャーに昇格する七一年まで、バレンタインはラソーダの指導を受けた。「当時、ほとんどの監督が、『監督の命令には絶対に従え』という軍隊式のリーダーシップだった。トミーはそれを変えるべきだと感じていた。選手に一個人として接し、より温かく思いやりのあるリーダーシップの執り方を野球界に導入したんだ。アメリカは、六〇年代中頃に始まった社会革命の真っ只中。トミーの起こしたリーダーシップ革命は、その社会革命に大いに関わっていたといっても過言ではない」とバレンタインは語る。

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