ハシム家とサウド家「二人のアブドラ」

執筆者:三井美奈2010年1月号

 中東に君臨する七つの王室の中で、中東和平プロセスに大きな発言力を持つヨルダン、サウジアラビアの「二人のアブドラ国王」の存在感は際立っている。ヨルダンのアブドラ国王(四七)は、西欧型の開かれたロイヤルファミリーを志向する一方、サウジのアブドラ国王(八五)は政教一致の厳格なイスラム体制を貫く。両極端の道を歩む二人は、中東王室の二つの将来モデルでもある。
 四十歳近い年齢差がある二人は、いでたちからして全く違う。ヨルダン王は高級スーツを着こなし、サウジ国王は白いヘッドスカーフをかぶった民族衣装を崩さない。オバマ米大統領との初会談も対照的だった。ヨルダン王がホワイトハウスで机上に紅茶と書類のみというビジネスライクな会談だったのに対し、サウジ王は同国を訪問した大統領にいきなりヘソまで届く黄金の首飾りを贈呈し、同行記者団を驚かせた。ちなみに、アブドラはアラビア語で「神に仕える者」という意味で、イスラム教圏によくある名前だ。

歴史的ライバル関係

 ヨルダンのハシム王家とサウジのサウド王家は、歴史的なライバル関係にある。
 ハシム家は、イスラム教をひらいた預言者ムハンマドの曾祖父ハシムを祖先とし、代々聖地メッカの太守を務めてきた名門中の名門で、現アブドラ国王は預言者から四十三代目の子孫にあたる。二十世紀初頭にはアラブ反乱軍を率いて、英国の「アラビアのロレンス」と共にオスマン帝国打倒に動き、「全アラブの王」となる野望を抱いた。それを阻んだのがアラビア半島を統一したサウド家だった。ハシム家は先祖代々の地を追われ、英国の采配でヨルダン王位に就いた。
 在位十年を迎えたヨルダンのアブドラ国王は青味のある透き通った瞳で、西欧人と言っても通る風貌だ。それもそのはずで、母親は英国人。ヨルダン駐在英武官の娘だった。「完全なアラブ人」ではない国王即位に反発もあったが、十年間の安定した治世で、不安はぴたりとやんだ。
 王室人気の一翼を担うのはラニア王妃(三九)だ。第三次中東戦争で故郷を追われたパレスチナ人の娘で、IT企業のOLだった時、パーティで見初められた。ヨルダンではイスラエル建国後、流入したパレスチナ系が人口の七割を占め、「本来のヨルダン人」を自任する部族社会との緊張が絶えないが、王妃は両者の架け橋となって「国民の結束」のシンボルとなる。保守的な中東王室の殻を破って、女性や子供の地位向上のため国内外を奔走し、米フォーブス誌の二〇〇九年の「世界で最もパワフルな女性百人」の一人に選ばれた。筆者が三年前インタビューした時は「王妃と母親の兼業は忙しくて、ダイエットに最適よ」と気さくに応じ、国際会議の休み時間に控室で王子に授乳した「苦労話」を披露してくれた。
 西欧王室を思わせる現代的なスタイルは、小国ヨルダンの国情から生まれたものだ。水や石油の資源に乏しく、面積は北海道くらい。パレスチナ、イラクという紛争地に囲まれ、近隣の衝突はあっという間に国内に飛び火する。一日五度の祈りを欠かさない敬虔なイスラム教徒でありながら、ジーンズ姿で愛車ハーレーダビッドソンをぶっとばし、家族でバーベキューを楽しむ国王とロイヤルファミリーは、世俗主義とイスラム主義がぶつかり合うヨルダン社会で新しい家族モデルを提示し、豊かさの象徴となるのだ。
 一方、サウジ国王はオイルマネーに支えられた巨大な財力に加え、イスラム教二大聖地メッカ、メディナの守護者としての宗教的威信を保つ。家柄ではハシム家に軍配があがる一方、政治、経済の影響力ではサウド家がリードすると言っていいだろう。サウジのアブドラ国王は二〇〇二年、足の引っ張り合いばかりしてきたアラブ連盟をまとめあげ、イスラエルにパレスチナ占領地からの撤退と引き換えに、連盟加盟国が一斉にイスラエルと国交を樹立する包括和平案を打ち出した。〇七年には、パレスチナ自治区で対立してきた穏健派ファタハとイスラム原理主義組織ハマスの和解を仲介し、「中東和平にサウジの影響力は不可欠」だと内外に印象づけた。
 国王の私生活は謎だらけだ。同国では女性は顔まで黒いベールで包むのが習慣で、四人いるという妃は一般に顔すら知られていない。部族社会で生まれ育ち、英米でエリート教育を受けた「ヨルダンのアブドラ」とは違って学校に通った経験はない。ただ、部屋中にテレビを置いて国際情勢に触れているとか、ゲーテのアラビア語訳本を側近に朗読させたなどの報道もあり、相当な勉強家のようだ。
 推定資産百七十億ドルの大金持ちだが、趣味はタカ狩りや乗馬で、生活はいたって地味らしい。先王ファハドが毎年約三千人を引き連れて南欧で総額一億ドルの豪華な休日を過ごしたのとは対照的だ。皇太子時代にはショッピングモールを突然訪れ、商店主と談笑しファストフードをパクついたこともあるという。金満サウジ王族の中で質実、倹約ぶりが際立つのも、国民の支持が高い原因でもある。
 直面する最大の課題は、後継者問題だ。サウジ統治基本法は、初代国王アブドルアジズの子孫で「最も正当な人物」が王位に就くと定めるだけで、これまでは初代国王の息子たちが順番に即位してきた。だから、建国七十七年にして、まだ第二世代である。駐日サウジ大使館のホームページによると、国王の腹違いの弟スルタン皇太子は七十八歳で、五年前がん手術を受けてから、健康不安説が絶えない。〇九年三月、「次の次の王」と目される第二副首相に皇太子と同腹のナエフ内相が任命されたが、内相もすでに七十六歳。世代交代が焦眉の急になっている。
 初代国王の孫ではスルタン皇太子の息子で元駐米大使バンダル王子、三代国王ファイサルの息子で元情報機関トップのトゥルキ王子らの活躍が目立つが、二百人はいるといわれる初代国王の孫から一人を選ぶのは容易ではない。近い将来、お家騒動が起きる可能性も否定できない。

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