「皇室外交」という言葉が宮内庁は気に入らないようだ。皇室の政治利用と見られかねないこともあるが、そもそも天皇、皇后両陛下の外国訪問や要人との謁見は本来の意味での外交とは異なるとの思いがある。
 元来、外交というものは「自国の国益にとって、Aという国はBという国より重要である」との政治認識に基づいて展開される。そこには格付け、差別、優遇といった政治的キーワードがちりばめられている。
 しかし皇室が展開する国際親善活動は、そうしたものとは無縁だ。両陛下はすべての国、すべての人に対して平等に接するのをモットーとしている。今回、中国要人との異例の会見が問題となったのも、皇室の政治利用への懸念のほか、特定の国だけに特別待遇を与えることへの拒否感が、天皇の思いを知る宮内庁にはあったと見られる。
 これが単なるお題目でないことは、宮中の歓迎宴の飲みもの一つにも象徴的に表れている。宮中晩餐会で出される白ワインと赤ワインは、常にフランスの最高クラスと決まっている。これはアフリカの小さな国の大統領であろうと、米大統領であろうと不変で、考えてみると実はすごいことなのだ。

「最高の外交資産」

 二〇〇五年十一月、モロッコのモハメド六世国王が来日した時、晩餐会で白に〈シャブリ・レ・ブランショ93年〉、赤に〈シャトー・マルゴー88年〉、シャンパンに〈ドン・ペリニョン95年〉が出された。白、赤とも最高格付けのワインであり、シャンパンもトップクラスだ。
 だがモロッコ側はこのワインを口にしなかった。事前に日本側に「イスラムの戒律を守るため、モロッコ側出席者にはワインを注がないでほしい」と伝えていたからで、この素晴らしいワインのお相伴にあずかったのは日本側出席者だけだった。それでも最高のものを出すのである。
 同席していたルシェヘブ駐日モロッコ大使は「ラベルを見て、こんな最高級ワインが出されているのかと驚いた。モロッコを手厚くもてなそうという日本側の意図が分って嬉しかった」と私に語っている。政治外交にあっては格差をつけるのが普通で、日本の皇室が特別なのだ。これからすれば、確かに皇室外交というものは存在しない。
 ただ外交を「国際親善を通して日本の国益を広く増進させる活動」ととれば、やはり天皇、皇后の国際親善活動は「皇室外交」といって差し支えないのではないか。むしろ首相ではなし得ない大きな役割を、天皇、皇后両陛下が果たしているのが実情で、「皇室は日本の最高の外交資産」といっても過言ではない。
 皇室外交が実際にどのような役割を果たしているのか、〇九年に行なわれた天皇、皇后両陛下のカナダ訪問(七月三日―十四日)を見てみよう。
 天皇は皇太子時代の一九五三年、エリザベス英女王の戴冠式に出席するため、初めて外国訪問をされた。当時十九歳。横浜から船で米サンフランシスコ、そこから飛行機でカナダのヴィクトリアに飛び、カナダ副総督の公邸で初めての外国の夜を過ごされた。そしてバンクーバーからモントリオールまで汽車で横断し、十一日間カナダに滞在した。
 皇太子に随行した吉川重国・宮内庁式部副長(当時)は、帰国した皇太子が皇居で帰国の挨拶をされた時の様子をつづっている。これによると、居合わせた皇族たちが「皇太子はご出発の時とは見違えるように成長された」と異口同音に語るのを聞き、吉川氏は「嬉しくて嬉しくてたまらなかった」という。
 皇太子に影響を与えたのはカナダだけではなかったろう。ただいつか皇后とカナダを訪問して、思い出を分ち合いたいと天皇が考えられていたことをみれば、カナダが大きな影響を与えたことは想像に難くない。
 今回、「80、50、20」の数字が符号となった。カナダの駐日公使館開設八十年、両陛下ご成婚五十年、そして天皇即位二十年。〇九年は公的、私的、さまざまな節目の交点にあたり、これをもって日加関係の新たなはずみとするべく両陛下のカナダ訪問が準備されたのである。
 まず東のオタワに飛び、そこからトロント、ヴィクトリア、太平洋岸のバンクーバーと、西に移動する旅程が組まれた。訪問最大のハイライトは六日、最初の訪問地であるオタワの総督公邸(リドー・ホール)で行なわれたミカエル・ジャン総督の歓迎晩餐会だった。
 女性で黒人のジャン総督は子供時代、ハイチから家族で亡命した。香港移民だった前任のクラークソン女史に次ぐ移民総督で、移民国家と多民族融和を国是とするカナダのダイナミズムを象徴する人物だ。
 晩餐会の歓迎スピーチで、ジャン総督は「前世紀に影を落とした紛争と不寛容を乗り越えることが出来た両国間の絆の深さと強さ」を強調した。「不寛容」とは大戦中、カナダが日系人を強制収容所に隔離したことで、日系人の苦しい体験と真摯に向き合うジャン総督の姿勢を示したものと受け止められた。
 天皇陛下は答礼のお言葉で、「古くからこの国に住んできた人々と、さまざまな国から移り住んできた人々が、それぞれの文化を受け入れ、国を創り上げようと努力してきた貴国のあり方への理解を深めたい」と述べられた。移民国家カナダの琴線に触れるメッセージでもあった。

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