WFP(国連世界食糧計画)のデイビッド・オア広報官が、帰省していたアイルランドの首都ダブリンを発ったのは、一月十二日午後四時五十三分、マグニチュード7の大地震がハイチを襲った翌日のことだった。 二〇〇八年にハリケーンの被害を受けたハイチで援助活動に従事していたオア氏は、インドでジャーナリストとしての仕事に戻っていたが、WFPハイチ事務所代表の要請を受けて、二月下旬に広報官として復帰する予定になっていた。だが、二十万人を超す死者を出した大地震の発生を受けて、急遽予定を早めたのだ。「一月十五日夜に米沿岸警備隊の飛行機で首都ポルトープランスに到着。翌朝見た光景にはショックを受けました。あらゆる建物が崩れ落ち、遺体が道路脇にころがされていたのです」 メールでの取材に対し、オア氏は当時の衝撃をこう記した。早速トラックに乗り込み、首都から三十キロ、震源地に近いレオガンの町に二トンの栄養強化ビスケットを届けに行った。 道路や建物など、あらゆるインフラが破壊し尽くされた中で、WFPはできるだけ多くの人に食糧を届けるべく大車輪で動いている。首都の南、ジャクメルの町に、航空機で三千五百袋の栄養強化ビスケットを届けたのは、地震発生からわずか数時間後のことだった。

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