[ニューヨーク発]「百年に一度」と言われた経済危機の顕在化から一年半。世界はどう変わったのか。私たちは果たして危機的状況を脱したといえるのか。金融危機に続き、国家財政の危機が先進諸国にまで迫るなか、未来に影を見る者は少なくない。
 大著『憎悪の世紀』で、なぜ二十世紀が血塗られた戦乱の時代になったのか、帝国論から分析して注目を集めた気鋭の歴史学者ニーアル・ファーガソン氏は、金融史の専門家として、近著『マネーの進化史』で、マネーがいかに世界を動かしてきたか、そして、二〇〇八年のリーマンショックにつながる経済危機がなぜ起きたのかを歴史的推移から解き明かしてみせた。
「金融史に対する無知こそが金融危機を引き起こした」と断じるファーガソン教授に、世界はどこへ向かおうとしているのか、滞在先のニューヨークで三月はじめに聞いた。

力のバランスは西から東へ

――ベルリンの壁崩壊のように「目に見える」形ではないにせよ、私たちはいま、時代の転換期を生きているように思えます。歴史的に見て、いまをどう定義しますか。
ファーガソン まさに、歴史的なターニングポイントです。大きな視野で言うならば、「西洋の上昇の終焉」という歴史的転換期です。
 今回の経済危機は二〇〇七年八月に始まったと私は書いてきましたが、〇八年九月にリーマン・ブラザーズの破綻に面して人々が危機を直視するまでの間、まず「大いなる抑圧(great repression)」の時代があった。経済危機を「大不況(great depression)」「大幅な景気後退(great recession)」と様々に言い表しますが、一年以上、危機から目を逸らす「抑圧」の時代があったのです。〇七年夏には、あらゆる指標が危機を指していたにもかかわらず、誰も恐ろしい現実を見ようとはしなかった。
 だが、リーマンショックをきっかけに人々はパニックに陥り、〇九年の年初にかけて、世界中で経済活動の劇的な収縮が起きた。各国政府の財政出動が一定の功を奏して、最悪の事態、すなわち一九三〇年代の大恐慌の再現は避けることができた。だが、依然、私たちの足下が危ういことに変わりはない。というのも、ギリシャの財政危機が問題を浮き彫りにしたように、私たちは新たな危機、国家財政の危機に直面しているからです。
 すでに広く言われているように、ギリシャの問題はギリシャ特有のものではない。「PIGS are us」という表現がある。巨額の財政赤字を抱えるPIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)と私たち(二重の意味で、アメリカも指す)の間に何ら差異はない、ということです。
 米議会予算局(CBO)によると、〇九年度のアメリカの財政赤字は一兆四千億ドル(約百二十六兆円)で国内総生産(GDP)の九・九%に相当する。これは過去六十年でもっとも大きな赤字で、赤字比率は一九四二年当時のものに等しい。つまり、世界規模の戦争をしているわけでもないのに、アメリカはまるで大戦時のような赤字予算を組んでいるのです。
 私の母国であるイギリスも似たり寄ったりの状況です。国際通貨基金(IMF)の試算によると、財政健全化への道が最も険しいのがイギリスと日本(毎年GDPの一三%程度の財政縮小が必要)。それにアイルランドとスペイン、ギリシャが続き、六番目に九%程度の緊縮財政が必要とされたのがアメリカです。
 国家財政が破綻するインパクトは、ギリシャやアイルランドなどで起きるのと、世界最大の経済大国アメリカで起きるのとでは、影響の大きさが桁違いであることは指摘するまでもないでしょう。
 多大な財政赤字を抱えたままでの景気回復は非常に難しい。そうでなくても、社会の高齢化に伴う社会保障の負担は重くなる一方です。
 こうした西洋(この場合、日本も含む)の衰退と裏腹に、中国やインドを筆頭とする東洋は、経済危機から大打撃を受けることもなく、成長を続けている。
 私の見通しが正しければ、西洋はいま、五百年以上居座ってきた世界の支配的地位からすべり落ちようとしている。つまり、〇七年来の危機は単なる経済危機ではなく、世界的な力のバランスが西から東へと移行していく歴史の転換期なのです。
――日本は財政赤字をさらに膨らませ、未だ現実から目を背けているように思えます。
ファーガソン 日本は西洋に未来を見せてくれている。真っ先に高齢化
を迎え、不動産バブルとその崩壊、金融危機をどこよりも先に経験した。そして、この二十年、金融セクターの問題を解決しようともがきながら、未だに「失われた時代」を続けている。経済の低成長(〇八年、〇九年はマイナス成長)の中で、世界最大規模の財政赤字をどう解消するのか、日本がいったい何をどうすべきか誰も答えを見いだせない状況です。
 このままいけば、ある時点で、世界の金融市場が日本を見放す時がきても不思議ではない。もちろん日本の国債は外国人投資家よりも日本人による保有率が圧倒的に高く、外国人が多い米国債とは違う。だが、これから続々と増える退職者が、保有する国債を換金し始めたら、国債市場への売り圧力は高くなる。そうなれば、利率を上げざるを得なくなり、財政負担はさらに大きくなる。低成長の中で国債の利払い負担が増えるなら、日本の経済回復はさらに遠のく恐れがあるでしょう。
――『マネーの進化史』では、金銀からコイン、紙幣、債券、複雑な金融商品へと、「マネー」が次第に見えないもの、理解できないものへと変遷する過程を描かれました。その結果、知識や情報を持つ者と持たない者との差、そして、それぞれが手にすることのできる富の差がいっそう拡大してきたことを指摘されました。激変期である今もまた、同じことが起きているのでしょうか。
ファーガソン その通りです。実際、今回の経済危機も、知識と情報を持っていれば、予測することはそう難しくはなかった。金融危機の恐れに関しては〇一年ごろから書いてきたし、事前に指摘していたのは私だけでもない。
 また、現在、財政危機に陥ったギリシャを誰がどう救うのか、EU(欧州連合)内で議論されていますが、EUには今回のような事態に対応するメカニズムがないことも従来から指摘してきたことです。
 通貨統合にどれほどの問題が内包されているかは、二〇〇〇年に『フォーリン・アフェアーズ』誌に共同で寄稿した「EMU(欧州経済通貨同盟)の衰退」という論文に書きました。通貨同盟は脱退することができないし、各国は自ら通貨を発行することもできない。財政規模も内容も異なる国の寄せ集めである事実から目を背けて作られた、非現実的な前提に立つ同盟であると。そんなものがうまくいくと考えるのは、「希望的観測」どころか、「希望的無観測(wishful non-thinking)」というものです。
 ギリシャ救済の期待はドイツにかけられていますが、ではスペインやアイルランドが続いたらどうするのか。ドイツの財布は無尽蔵ではない。議論は続くでしょうけれど、解決策を見いだすのは容易なことではありません。
 金融史を見ると、知識と情報のある専門家は、バブルのさなかで市場と実態との乖離に気付き、バブル崩壊のリスクから資産を守ることができる。バブルが崩壊して痛手を被るのは知識のない人々です。
――一般の人が知識と情報を必要とするまさにそんな時代に、ジャーナリズムが瀕死の状態にあることを、どうご覧になりますか。
ファーガソン 英フィナンシャル・タイムズや米ウォールストリート・ジャーナルといった経済紙、および米ニューヨーク・タイムズなどの一流紙は、経済的に厳しいながらも良い仕事をしています。実際、イラク戦争よりも金融危機の方が読者を増やしたほどです。そして、インターネットで流されるマーケット情報など、ニュースの量自体は莫大なものになりました。
 問題は、「ニュース」と「知識」が同じものではない、ということです。瞬時に流されるマーケット情報や金融ニュースは、市場に反応しているだけで、そこに深い分析はない。ある意味、増え続ける「情報のかけら」は、騒音でしかない。たとえば、アメリカの景気を見る目安として株価指数S&P500が使われるが、これはグローバル化した企業銘柄を数多く含んでおり、必ずしも米経済の状態を反映しない。むしろ国債スプレッド(株式の益回りと国債の金利との差)の方が役に立つのに、そういう情報は流されない。
 だが、歴史的な知識や経験がないという意味では、ウォール街の経営者たちとて大差はない。ウォール街の最高経営責任者たちの多くが、せいぜい五十代半ばです。経営学修士号を得て、ウォール街で働きはじめて二十五年。彼らの経験はその程度でしかない。米国債の利回りが二桁台で、財政赤字が深刻だった七〇年代のことなど知らないのです。
 オバマ大統領が金融危機後の米経済の舵取りに、なぜポール・ボルカー氏の知恵を借りようとしたか。ボルカー氏は米連邦準備制度理事会(FRB)議長として、七〇年代から八〇年代の厳しい時代に改革を断行した経験がある。今のウォール街には、その知識と経験が欠けているのです。

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