アフリカ研究者のアフリカ論は信用できるか?

執筆者:平野克己2010年9月1日

 いまから10年ほどまえ、アフリカ諸国が奴隷貿易に対する補償を求めたことがある。当時のアフリカは永く続く経済低迷と貧困化に苛まれていた。この窮状の歴史的な淵源は奴隷貿易にあるのだから、かつて奴隷貿易を行なった国、奴隷貿易によって潤った国はアフリカに資金を提供せよという主張だった。しかしこれは、一見筋が通っているようで、じつはおかしな議論だ。

 奴隷貿易は人類史上稀に見る蛮行であった。だが、アフリカが永きにわたって大量に奴隷を搬出できたのは売り手がいたからであり、つまりヨーロッパ人に奴隷を売り続けたアフリカの権力が存在したのである。彼らの国家や集団は奴隷貿易によって直接に利益を受けた。一方、奴隷貿易の最大の被害者は奴隷として売られた人々であり、その子孫は当然アフリカの外にいる。もし歴史を遡って奴隷貿易の補償をするとすれば、いったい誰がそれを受けとるべきなのか。たとえば、アフリカ系アメリカ人の納めた税金をアフリカの政府に渡すことは正しいのか――奴隷貿易補償論は要するに詭弁であった。しかし、このときアフリカ側の主張に賛同した研究者も多かったのである。アフリカ研究の危うさをみる思いがした。

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