ウェブ版フォーサイトで「専門家の部屋」がスタートし、各部屋で活発な論考が発表されています。わが「朝鮮半島の部屋」も取り残されそうです。これではいけないと焦っていたところ、知人の「強盛三郎」さんから、私が「訪中は金正日の焦り」の原稿の中で書いた朝鮮労働党代表者会での三男、金正銀の去就についての見方に対し、別の見方が寄せられました。「強盛三郎」はペンネームですが、この方は北朝鮮の専門家です。今後、私(平井)と、この部屋で活発な議論を繰り広げてくれるものと期待しています。
 平井は党代表者会で金正銀が政治局の常務委員に就任するなど、全面的な登場をすることに否定的な見方をしているのに比べ、「強盛三郎」さんはより踏み込んだ見方をしておられます。以下、「強盛三郎」さんの意見を掲載します。(平井久志)


 平井氏の論説によると、北朝鮮の現在の国内情勢は、新たな指導者の登場を祝賀するような環境にはない、とのことだが、全くの同感である。しかし、今後、金日成主席生誕100周年を迎える2012年までに食糧事情が好転して祝賀ムードになるかといえば、それも考えにくい。金正銀が登場するための環境要件は、今も2年後も同じなのではないか。
 たしかに金正銀の目立った功績はない。ただ、これも1980年に公式の場に登場する金正日と大して変わりはない。金正日の業績は1980年以降、取ってつけたように説明されているからだ。最新の金正日の伝記である『金正日同志略伝』(朝鮮労働党出版社、2008年)によれば、1970年代の金正日の功績には、①「全社会の主体思想化」綱領宣布、②社会主義大建設戦闘を勝利へ、③首都建設での転換、④「われわれ式に生きていこう!」というスローガンの提示、⑤文学芸術の発展、などが掲げられている。いずれも後付け的に説明できるものばかりである。
 昨年、北朝鮮では「150日戦闘」、「100日戦闘」という増産運動が行われた。実際にはごく一部かもしれないが工場や企業所で生産が上がったと主張されている。昨年4月にはテポドン2号が発射されたが、北朝鮮国内では「20代、30代の若者が中心となって開発された」とされる人工衛星の打ち上げと説明された。輸入原料に頼らない「主体鉄」や「主体繊維」の生産や「世界が驚嘆した」というCNC(コンピュータ数値制御)技術の開発もある。それらは今後いくらでも金正銀の実績として宣伝することができる。歴史の書き換えや誇張は日常茶飯事の体制だ。また、人民に不満があっても、それを抑えつける十分な能力が維持されている。
 そもそも、金正銀が登場しないのに、第6回党大会から30年ぶり、第2回党代表者会から44年ぶりに開催される大規模会議をわざわざ開く必要があるのだろうか。大舞台は頻繁に用意できるものではない。曲がりなりにも「選挙」で幹部が選ばれる好機である。当然金正銀もそれなりの要職に就いて事実上デビューを果たすことになろう。
30年前に金正日が就任した常務委員になる、というのが大方の見方で、私もそう考える。
 北朝鮮の「労働新聞」は8月から「金日成民族」という言葉をやたらと強調し、「継続革命の血筋」を守ることを訴えている。「9月の祝杯を10月の祝砲声に続け、2012年の勝利の春の丘に向かって信心高く継続革命を前へ」とも書かれている。9月に金正銀が公式に登場し、10月の党創建65周年記念軍事パレード・閲兵式に顔見せがあり、2年後に最高司令官や党中央軍事委員長などしかるべき地位に格上げされる、というのが今現在のシナリオではあるまいか。(強盛三郎)

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