45万人が働く「富士康」の要塞工場

執筆者:竹田いさみ2010年9月27日
高速道路そばにある「要塞工場」の一角(筆者撮影)
高速道路そばにある「要塞工場」の一角(筆者撮影)

 秘密の軍事基地さながらの、「要塞工場」がそこにあった。周囲を高い白壁で囲った敷地内には、あちこちに監視カメラが設置され、よそ者を寄せ付けまいとする緊張感が漂う。  ここは中国・深圳市内から車で40分の、龍華地区にあるハイテクパーク。この要塞工場を作り上げた企業は、台湾の「鴻海精密工業」で、中国子会社「富士康科技集団(フォックスコン)」はEMS(電子製品の製造受託サービス)で世界首位。米国アップル社の多機能携帯端末「iPad」、携帯電話 「iPhone」、任天堂のゲーム機「Wii」、ソニーの「プレイステーション」、大手メーカーの携帯電話やパソコンを受託生産する世界最大のEMS企業 である。  競合する各社の新しい戦略商品を生産するだけに、商品の守秘義務は徹底していると聞く。部品の組み立てを行なう従業員には私語を厳禁、モノを考える時間 を与えず、ひたすら流れ作業に従事させる。日米のメーカーからみれば、富士康なくして商品開発ができないほど、その影響力は甚大だ。

出稼ぎ労働者の憩いの場(筆者撮影)
出稼ぎ労働者の憩いの場(筆者撮影)

 この要塞工場で働く中国人はおよそ45万人で、大半は内陸の湖南省や河南省などからリクルートしてきた若い出稼ぎ労働者だ。ひとつの町ができる程の規模だが、ほぼ全員が単身赴任で、工場内の寮で規則正しい単調な生活を送る。清潔だが生活感のない無機質な工場で、人間をロボットのように働かせていると批判もされているらしい。休憩時間だろうか、従業員が蟻のように歩いていく光景が眼に入る。蟻の一団が目指すのは、「湖南特産」という看板を掲げた小さな食料品店だ。ふるさと湖南省の味を代表する菓子や食べ物がギッシリと陳列されたこの店は、出稼ぎ労働者の憩いの場となっている。上海にとって内陸の安徽省がそうであるように、深圳の低賃金労働力を支えるのは湖南省だ。  湖南省といえば、建国の父・毛沢東を筆頭に、劉少奇や彭徳懐など革命の指導者が輩出したことで知られ、中国現代史の原点とも言える由緒ある農村地帯である。一方、共産党を率いる毛沢東との内戦で敗れた国民党の蒋介石が、命からがら逃れた島が台湾にほかならない。蒋介石が台湾を要塞化して、中国大陸からの侵攻を許さなかったように、富士康は工場を要塞化して、軍隊式の規律を企業経営へ見事に持ち込んだ。歴史が巡りめぐって今度は、大陸への経済進出の先兵となった台湾企業・富士康が、深圳郊外に要塞化した工場を建設し、湖南省の出稼ぎ労働者を大量に雇う時代が訪れた。毛沢東には敗れたが、湖南省の人民を征服することに成功したことになる。これも何かの因縁だろう。  台湾から中国へは約7万社の企業が進出し、およそ100万人の台湾人が中国大陸でビジネスを展開している。これらの台湾企業に雇用されている中国人は 1000万人を超えるといわれ、大陸における台湾企業の存在感は計り知れないほど大きい。共産党や地方政府とも密接な関係を築き、利害関係者に巨額な資金が提供されてきたことは想像に難くない。  しかしこの深圳工場で、今年に入ってから13人の従業員が飛び降り自殺し、10人が命を落とした。いずれも1980年代以降に生まれた1人っ子世代で、自殺の原因は単調な仕事、過度な残業、ストレスとされる。マスコミ嫌いで知られる富士康は止む無く工場を公開し、賃金アップを発表した。最低賃金と同じ月 900元(約1万2000円)を1200元に、さらに正社員になれば2000元に引き上げると、賃金の倍増計画を発表した。これを完全に実施すれば、富士康の経営は立ち行かなくなり、大陸から撤退しなければならない。  上に政策があれば、下に対策があるように、富士康の対策は出稼ぎ労働者が多い河南省などに直接進出し、現地で今までと同じように、安い労働力を確保する方針へと舵を切った。地方政府とタイアップして、新たな労働者の募集を発表するなど、冷酷なまでの利益追求に走る。人民を相手に、中国と台湾の国共合作はまだまだ続く。

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