ナイジェリア独立50年に想う

執筆者:白戸圭一2010年10月2日

 10月1日。日本で5年に一度の国勢調査が行われたこの日、ナイジェリアでは独立50周年を祝う記念式典が首都アブジャで挙行されました。国の南東部の産油地帯で石油企業を狙った誘拐事件などを起こしている武装組織が式典を狙った爆弾テロを予告し、式典の最中に会場近くで乗用車が爆発しました。日本時間2日午前0時現在、死者8人が出ていますが、式典は中断されることなく粛々と行われました。

ナイジェリアは2度、取材で訪れたことがあります。一度は2006年4月に産油地帯の武装組織を取材するために、もう一度は2007年4月の大統領選の取材でした。

 最初のナイジェリア取材の2週間前の2006年3月23日から25日にかけて、ナイジェリアでは1991年以来実に15年ぶりの国勢調査が行われました。そして、これが対立する民族同士の衝突を誘発することになり、死傷者が相次ぐ騒ぎとなりました。

 なぜ、たかだが国勢調査を行うだけで死傷者が出るのか。今まさに粛々と国勢調査が続いている日本人には訳の分からぬ話でしょうが、多くの民族が住むナイジェリアでは、地域によっては住民同士が様々な「利益」を巡って対立し、ささいなきっかけで暴力的衝突に至ります。いま、民族の数を「多くの」と書きましたが、ナイジェリアの民族の数については「200」「250以上」「500」など出典によって違うのが現状です。そのこと自体がナイジェリア社会の複雑さを示しているとも言えます。

2006年の国勢調査では、南部のオンド州でイジョー人とイカレ人の若者らが「国勢調査を自分たちに有利に進めるため、人口を水増ししている」などと非難し合い、衝突で5人が死亡、多数が負傷する惨事となりました。国勢調査で州や自治体ごとの正確な人口が判明すれば、政府から自治体への補助金額や選挙区の議員定数が変更される可能性があるからです。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。