バルガス=リョサとフジモリ――20年後の明暗

執筆者:遅野井茂雄2010年10月19日

 今年のノーベル文学賞にペルーのマリオ・バルガス=リョサの受賞が決まった。中南米では1990年のメキシコのオクタビオ・パス以来20年ぶりの受賞で、ペルーでは初の受賞だ。1960年代のラテンアメリカ・ブームの火付け役、中心人物であり、20年前に受賞してもおかしくはなく、やっとというのが実感である。大統領選に出馬し政治の世界に身を投じたことが受賞を遅らせた原因であった。

 1990年のペルー大統領選では、テロとインフレに苛まれた祖国を救済しようと自由運動を立ち上げ、民主戦線から立候補したバルガス=リョサの勝利を誰もが予想していた。当時ペルーの日本大使館で政務を担当していた筆者も、一回目の投票の1週間前まではそう分析していたし、バルガス=リョサ自身も最後まで勝利を信じて疑わなかったと思う。だが、その行方を阻んだのが日系のフジモリである。豊富な資金力で準備万端整え非の打ちどころのないニューライトの白人のサラブレッド候補が、まったく準備もなく上院議員になるために並立立候補しただけの、正統派スペイン語も話せない東洋の移民の子に決選投票でよもや敗れるとは信じ難かったはずだ。その時のバルガス=リョサの支持者たちの我われ日本人に向けられた、射るような視線の冷たさは今も体に残っている。 

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。