日本各地に残る「滅亡の危機」の痕跡

執筆者:関裕二2010年11月26日

 海に囲まれた日本は、他民族の侵略を経験したことがない。元寇や黒船に震え上がったが、草木も枯らしてしまうような略奪や凌辱を受けたわけではない(唯一元寇に際し、壱岐の住民は経験している。また、沖縄戦と米国による統治で沖縄住民は多大な犠牲を払った)。
 ただし、長い日本の歴史の中で一度だけ、国家滅亡の危機が迫ったことがある。それが、白村江の戦い(663)である。倭国は百済救援に失敗し、唐と新羅の大軍が押し寄せてくると、大騒ぎになったのだ。
 よほど恐ろしかったのだろう。この時期、北部九州や瀬戸内海に無数の山城が構築され、来襲に備えている。しかも、どれもこれも、想像を絶する規模を誇っている。
 そのひとつが、福岡県久留米市の高良山(こうらさん)だ。北部九州の防衛上の要で、豊臣秀吉ら戦国武将たちも重視した場所である。
 山の中腹には高さ70×長さ80センチ(数字は平均値)の切石が一列になって並べられている。これを神籠石(こうごいし)といい、全長1500メートルだ。かつては山を一周し、その長さは2500メートルあった。これは、土塁を構築するための礎石である。
 対馬(長崎県対馬市)の金田城(かなたのき)は、入り組んだ浅茅湾(あそうわん)を見下ろす標高275メートルの城山(じょうやま)に築かれ、石垣が無数に設けられている。山頂付近の城門から海岸線にまで続いていたのではないかと思わせる長い石垣が今も残り、圧倒される。蟻のように並び必死に働く兵士たちの姿が、目に浮かぶようだ。近代にいたり、防衛上の重要性が再認識され、金田城の地には要塞と砲台が築かれている。
 岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん、標高400メートル)には「鬼ノ城」がある。総面積30ヘクタール、東京ドーム6.4個分の広さだ。また、高原状となった山の一周2800メートルを列石が囲み、高さ6メートルの版築土塁が築かれていた。要衝には、城壁、城門、排水施設が整えられていたことも分かっていて、現在西側の城門などが復原されている。今でこそ内陸部に孤立するが、当時はすぐ目の前まで瀬戸内海が迫っていて、海の要衝をおさえるために築かれていたことも、はっきりとしている。
 ちなみに、この鬼ノ城は、昔話「桃太郎」の舞台でもある。桃太郎のモデルとなった吉備津彦(きびつひこ)が、鬼ノ城を根城に暴れ回っていた鬼神・温羅(うら)を退治したというのが、吉備(岡山県)に伝わる話で、これが江戸時代、桃太郎に編み直された。
 廃墟となっていたであろう鬼ノ城は、鬼の住処と考えられ、恐れられていたのだろう。想像をたくましくすれば、古代人の「恐怖体験」が語りつがれ、鬼伝説につながり、桃太郎説話に引き継がれていったのかもしれない(さらに余談ながら、吉備津彦の家来の犬飼武が桃太郎説話では「キビ団子欲しさに加勢した犬」になるのだが、この犬飼武の末裔が、5・15事件で殺された岡山県出身の宰相・犬養毅だと言われている)。

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