「弱い国家」とは?-“寝たきり”政府

執筆者:平野克己2010年12月22日

 アフリカの国家は本来なすべき政策を実行してこなかった。それゆえ開発が進まず、貧困化が起こった--という議論は、1981年に世界銀行が初めて公にし、現在では定説になった。
 それまでアフリカ諸国は、植民地主義とそれに続いた新植民地主義がアフリカを低開発に押し込めていると主張していた。つまり、先進国が悪いという「南北問題」時代の論法だった。開発がうまくいくかどうかの一義的責任は各途上国政府にあるという議論、すなわち「開発オーナーシップ」の議論は、最初から了解されていたのではなく、じつは案外新しいのである。

 では、どういう政策が望ましいのか。これを探究するのが開発論で、主には経済政策論として議論される。一方、これとは別の次元で、政府はなにを動機として政策を発動するのか、どういった政策がとられやすいかという視点に立ってアフリカ政治を分析しようとする研究がある。有名なところではロバート・ベイツの「政治的合理性」論があり、ガバナンス論もそうだ。政治家の動機を権力拡大に、官僚の動機を昇進において、政府を自己目的に基づいて行動するひとつのエージェントと見て分析する「合理的選択論」もある。
 経済政策論においては、政府は国民にとって最善の選択を模索すると想定されるが、現実にはそうでもない。現地には現地の政治力学がある。最大多数の最大幸福をめざして政策が選ばれていると、単純に想定するわけにはいかない。そのような想定は、アフリカの一般大衆にとってみれば、現実離れした幻想と映るだろう。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。