いまだに消えない東西ドイツ「心の壁」

執筆者:浅井信雄2000年2月号

「ベルリンの壁」崩壊から十周年の一九九九年十一月、旧東ドイツ住民たちは「十年間で九回失業した」「金の支配する世界になじめない」「旧西ドイツ住民との間に目に見えない精神的な壁が残る」などと嘆きあった。 とりわけ「旧東西ドイツの住民は異なる民族になってしまったのか」との声がずっしりと重い。旧東西ドイツの内部では、異なる民族の共存も珍しくないのに、同民族がいがみあい、異民族が親しいとすれば、ナショナリズムの一枚岩神話が揺らいでくるのだ。 第二次大戦後、約千二百万人がドイツに流入した。オーデル川以東の旧ドイツ領や欧州各地からの被追放者や難民で、大半はドイツ系だったが、東欧の自国への帰国を望まぬ非ドイツ系も含まれ、多彩な民族構成を生んだ。 さらに四九年のドイツ分割統治スタート以来、人的移動が変則的な新局面を迎える。流入者の多くが西ドイツを目ざし始めたからだ。加えて東ドイツからも約二百万人が、新境界線を越えて西ドイツに移住したと推定される。 東ドイツからの脱出者は、それまで社会の推進役だった若くて知能・技術水準の高い者がほとんどで、西ドイツ経済の発展に大貢献したが、他方で東ドイツには深刻な停滞要因となった。

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