「政治」の荒波に揉まれるIMF

執筆者:井波一郎2000年2月号

ドイツ大蔵次官が専務理事有力候補に収斂するまでの紆余曲折

[ワシントン発]「後任の人選がこんなに長引くとは思っていませんでした」。二月九日、国際通貨基金(IMF)の専務理事として最後の理事会に出席したミシェル・カムドシュ氏は日米欧をはじめ加盟国代表の理事らの前でこうあいさつした。カムドシュ氏が任期を二年残して辞任を表明したのが昨年十一月九日。それから三カ月たっても後任が決まらず、専務理事空席のまま退任という前代未聞の事態になった。

 ようやく二月十四日になって欧州連合(EU)がドイツ大蔵省のカイオ・コッホウェザー次官を統一候補として推薦することで大筋合意したが、当初から専務理事レースは混迷を極めた。早くから立候補を表明したのがドイツと日本。両国とも第二次大戦の敗戦国。連合国が戦後の国際経済体制のあり方を協議した一九四四年のブレトンウッズ会議で生まれたIMFのトップに敗戦国が就任した例はまだない。日本が榊原英資・前大蔵省財務官を擁立したのも、「敗戦国のドイツが候補を立てるなら日本も出せないはずはない」という官邸サイドの意向が働いた。

 特にドイツの売り込みは目を見張るものがあった。コッホウェザー次官を早くから候補に決め、あらゆるレベルで宣伝活動に入った。

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