太平洋を、そんな風にあっけらかんと自分のテーマにし、自分の劇場にしてしまった日本人はそれまでいなかった。 それまでこの大洋は、日本にとって、移民とか、艦隊とか、体制とか、戦争とか、講和とか、同盟とか、要するに国家と民族の織りなす大テーマであり、巨大なアリーナであり続けてきた。 それなのに、突如、太平洋の潮騒が「ぼく」の物語を奏で始める。 一九六二年、堀江謙一、二十三歳。マーメイド号で、太平洋を横断した。九十四日間の船旅だった。「なんだか、どの星もぼくを中心にしてまわっているみたいに見える」 そう日誌に記した。太平洋のど真ん中で、青年は寝転がって、空を見つめていた。「『陸の人間にとっては、海は陸を隔てる。ヨットマンにとっては、海は陸をつなぐものである』 ああ、太平洋のひとり旅は気楽だ。だれに気がねも遠慮もいらない。自分のペースで生きていかれる」 血縁、地縁、そうしたべとつく縁というものからの脱出と、未知の世界との縁への跳躍と、青年にはただ、太平洋をヨットで最初に渡りたい、というその一念しかなかった。「ほかの欲望がなかっただけなんだ」 アホウドリが寄り添ってはヨットに停まる。連中にとってはヨットもまた一片の流木だった。マーメイド号は全長わずか五・八メートルに過ぎなかった。その小ささに日本の同時代人は共感し、その小ささがなしうる大きな仕事に感銘を覚えた。

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