「凡庸なる非凡」小渕恵三という人生

執筆者:田勢康弘2000年4月号

 突然の脳梗塞で退陣を余儀なくされた小渕首相。一見、凡庸なる政治家の非凡さはどこにあったか。いまだ語られざる小渕氏の実像に迫り、その退陣と森政権誕生の不透明な経緯を鋭くつく内幕レポート。

 小渕恵三。どこにも鋭さを感じさせることのない凡庸な人物である。私の知る多くの政治家の中の一人としてこの人物を三十年近く見てきて、比較的最近気がついたのは、この凡庸だとだれもが思う人物の非凡さは、己が凡庸であることに早くから気がついているというところにあるということだ。

 政治記者として佐藤栄作から小渕恵三まで十六人の内閣総理大臣を見てきた。この国の人々は、志半ばにして総理が病に倒れたときにだけ、「総理」の存在を意識する。総理が執務執行能力を欠いてはじめて国家の危機管理と総理大臣の関係について思いをはせる。

 国家の意思を決める最高責任者でありながら、戦後、この国の総理大臣にはそれにふさわしい敬意が払われたことはない。政治指導者としてあまりにも希薄な使命感、政権維持を最優先させる小心翼々たる小市民的打算。総理大臣の側にも問題があるが、最大の原因は戦後日本を覆いつくし、いまもなお拡大しつつある「人間はみな平等」という戦後民主主義が生みだした嫉妬社会にある。

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