今なお不信感が残る北アイルランド紛争

執筆者:立山良司2000年5月号

「それは日曜日、血まみれの日曜日。奴らが民衆に発砲した。その時、殉教者十三人の叫びが、自由を求めるデリー中に響き渡った」――一九七二年一月、北アイルランドの町デリー(ロンドンデリー)で、英国軍がアイルランド人十三人を殺害した「血の日曜日」事件が発生した。その直後に故ジョン・レノンは、夫人のオノ・ヨーコと共にニューヨークで英国に対する激しい怒りを込めた曲を発表した。冒頭に記したのが、その曲「血まみれの日曜日」の一節である。 今年二月、ジョン・レノンがIRA(アイルランド共和軍)に資金援助していたとする秘密文書が英情報部MI5に存在すると報じられた。オノ・ヨーコは資金援助を否定しているが、自身は英国人でありながらジョン・レノンが北アイルランドの反英闘争を支持していたのは間違いない。 あらゆる宗教紛争と同様、北アイルランド問題も宗教と政治、経済格差等が複雑に絡み合っている。その背後には、十二世紀以来の英国による侵略の歴史がある。北アイルランドの人口は約百六十万、内訳はカトリック四〇%、プロテスタント五五%、その他五%だ。ここでいうプロテスタントとは「非カトリック」という意味で、英国国教会の姉妹組織チァーチ・オブ・アイルランドの信者と浸礼派が主体となっている。アイルランド全島ではカトリックが九〇%以上を占めているのと対照的だ。この違いは英国の植民地支配、特に北アイルランドへの非カトリック系英国人の入植の結果に他ならない。

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