二〇〇〇年五月、ロシアの新大統領に就任したプーチンの執務室には、ピョートル大帝の肖像が飾ってあるそうだ。在位一六八二―一七二五年の大帝は、西欧の新しい技術を導入、領土を拡大し、ロシアを西欧列強の地位に引き上げた。まさに「強いロシア」の指導者のモデルの感がある。 ピョートル大帝の国内反乱への対応は残酷であったが、ロシアから分離を策したチェチェン共和国に対するプーチンの武力弾圧もまた、西側世論の非難を招くほど断固たるものである。 また大帝は、全国を八県に分割して県知事に大権を与え、国家の統合強化と安定化に成功した。それに学ぶかのように、プーチンも就任直後、ロシア連邦を七つの行政管区に分割し、それぞれに大統領直属の全権代表を置く措置をとっている。連邦崩壊を阻止するため、地方の独自性を規制する中央集権体制の強化である。 前大統領エリツィンも、帝政ロシアの紋章であった「双頭のワシ」をロシアの国章に復活させた。革命家レーニンを記念した第二の都市「レニングラード」は、帝政時代の名前「サンクトペテルブルク」に戻っている。 ソ連邦の崩壊と民主化の中で、タガの弛んだ国家統合維持の接着剤を、ロシア・ナショナリズムの高揚に求める傾向が強まっているが、そこには「帝政ロシア的手法」へのノスタルジアさえ混じっているようだ。

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