自民党の梶山静六元官房長官が六月六日、閉塞性黄疸のため都内の病院で死去した。梶山氏は一月末、地元茨城県内で追突事故に遭い入院。硬膜下血腫が後頭部にできていることが分かり、二月十九日に手術した。

 術後、梶山氏は早期回復への意欲をみせていたが、重度の糖尿病などもあって回復は遅れた。永田町では三月初め、「梶山の回復は七月まで無理」との情報が流れたが、死の三週間前あたりから「梶山の回復の遅れは院内感染によるもの」「病院側と家族との間で治療をめぐって悶着があった」といったアングラ情報が出てきた。真相は不明だが、もしそうだとすれば「大乱世の武闘派」にとってはあまりにも無念の死といえる。

 総裁選を争った小渕恵三前首相の内閣・自民党葬があった六月八日に行なわれた通夜には、小沢一郎自由党党首、橋本龍太郎元首相らが参列。かつての竹下派七奉行のうち、奥田敬和、小渕、梶山の三氏は死去し、渡部恒三氏は衆院副議長、羽田孜民主党幹事長と小沢氏は野党暮らし。残る橋本元首相が総選挙後、旧小渕派を継承して「平成研究会」会長となる予定。しかし、総裁候補を持たない派閥の前途は何とも暗い。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。