日本オリンピック委員会(JOC)

執筆者:本誌取材班2000年7月号
JOCの本部が入る岸記念体育館(C)時事

 

 醜態を晒し続けるJOC加盟各種スポーツ団体。その問題の根幹を探っていくと、無責任体質を助長する「アマチュアリズム」の限界が浮かび上がる。

 二〇〇〇年シドニー五輪まで二カ月となった。刻々と迫るスポーツの祭典に水を差すように、日本のスポーツ競技団体の無責任体質を如実に示す「事件」が相次いでいる。
 競泳の五輪代表選考では、日本水泳連盟が明確な選考基準も明らかにしないまま、女子二〇〇メートル自由形で五輪参加標準記録を突破して国内選考会で優勝した千葉すず選手(イトマン)を落選させ、スポーツ調停裁判所(CAS)に訴えられる事態となった。サッカー日本代表のフィリップ・トルシエ監督の処遇をめぐっては、日本サッカー協会の右往左往ぶりが世間の失笑を買っている。

 日本のスポーツ界のこうした混乱の原因は共通している。八〇年代初めまで、五輪スポーツの絶対理念だったアマチュアリズム、すなわち「スポーツで金もうけしてはならない」という考え方に支配されていた人々が、今でも大半の競技団体トップに居座っているからだ。自分の愛するスポーツに無償奉仕しているというボランティア精神は、はたから見れば立派なようだが、同時に、「だからこの程度で許される」という甘えを内包する。一方で、スポーツのビジネス化が進んだことで、競技によっては莫大な資金が流れるようになり、選手や監督の意識は、言い訳や妥協を許さないプロへと進化した。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。