企業活動のグローバリゼーションを根底で支えているのが物流だ。特に海運は、その要として存在する。にもかかわらず海運業界の“憲法”といわれる船舶法が、一八九九年(明治三二年)の施行以来ほとんど改正されることなく存続していたことを知る人は少ない。 船舶法の各種の規定の中でも、外国籍の役員を置くことを禁じていたのは驚きだ。海運国イギリスでは株式の過半数を英国籍の者が持っていればよく代表者の国籍などは問わない。船舶法の規定は明らかに海運会社自身の国際化の流れにも反するものだった。 九九年六月、施行から一世紀ぶりに船舶法が改正され、外国籍の者は代表権を持つ役員にはなれないが、定数の三分の一以内であれば役員への就任が認められた。船舶法改正は、政府の規制緩和三カ年計画にも盛り込まれていたが、改正のきっかけとなったのが今回紹介するジョージ・ハヤシである。 改正法案のとりまとめにあたった運輸省海上交通局の春成誠課長も、「ハヤシ氏の一件が契機となり法案改正を急いだのは事実だ」という。一人の人物を役員に就任させることを契機として、日本の海運業界は真の意味での国際化の糸口をつかむのである。国まで動かした実力 ハヤシは一九三九年、米国籍の日系二世として兵庫県宝塚に生まれる。父親は、後にハヤシが社長となる海運会社APL(アメリカン・プレジデント・ラインズ、当時はダラー社)の神戸支店に勤めていた。「五〇年代のハリウッド映画の全盛期。自由で明るい父の国に思いを馳せ」て、箕輪自由学園を卒業すると一八歳で渡米。大学を卒業してベトナム戦争にも従軍し、六四年APLに入社する。

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