イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機から八月二日で十年を迎える。湾岸危機とそれに続く戦争は、中東に新秩序をもたらし、イスラエル・パレスチナ和平を中心とした包括和平に道を開いた。この十年、中東の政治地図は著しく変貌したが、当のフセイン・イラク大統領だけは孤立感を深めながらも権力を保持している。

 ところでいま振り返ると、西側諸国には「イラクのクウェート侵攻はあり得ない」とタカをくくっていたフシがあった。イラク軍はクウェート国境に集結していたが、これはフセイン大統領一流の駆け引きで、武力で他国を併合するような時代錯誤的なことはよもややるまいと思い込んでいたのだ。日本も同様だったことは、イラク軍侵攻時、イラク、クウェート駐在の日本大使がいずれも夏季休暇をとって任地を離れていた一事からも明らかだ。

 もちろん日本も情報収集はやっていた。侵攻の数日前には、バグダッドの日本大使館員がわざわざ陸路クウェートに買出しに行き、国境の様子をうかがった。「行き帰りの国境検問はあっけないほど簡単で、差し迫った軍事行動をうかがわせるような緊張感はない」と本省に報告されている。

 実のところ日本は、フセイン大統領夫人のサジーダさんの極秘の動向にからんで、他国以上に「侵攻はない」との心証をもっていた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。