長い間言われ続けてきたことではあるが、とうとう日本の学歴社会はにっちもさっちもいかないドン詰まりまで来てしまったのではないか。高校は大学の、中学は高校の、小学校は中学の、ときには幼稚園までが小学校の受験予備校のようになる。ペーパーテストの結果だけで、人間の価値を測るような風潮が横行し、落ちこぼれた生徒は不登校になる。少年の凶悪犯罪件数は一九九六年あたりから急に跳ね上がったが、その多くが不登校の生徒たちであるという。 ペーパーテストの関門をかいくぐって有名大学を卒業した「選ばれたはずの者たち」は、独創性を失い、画一的な日本社会しか作れない。目まぐるしい変化についていけない官僚たちはひたすら組織にしがみつくだけで、世の批判を浴びる。厳しい国際競争にさらされた官僚的なサラリーマンは、なす術もなく茫然としているうちに、組織から放り出されるか、組織ぐるみ解体の憂き目に遭う。一体、あのペーパーテストのための日々は何だったのかとほぞをかむ毎日だろう。 そんな中で、いま新しい実験が始まっている。不安で多感な時期を通り抜ける中学校から高校までの少年たちを、一貫した方針と目で教育できないか。ペーパーテストのための授業をできるだけ少なくしてやり、少年たちが個性に応じていくつかのコースを自主的に選ぶようにする。知識の詰め込みだけではなく、校外に出てさまざまな人々や自然と触れ合う体験も積ませてやりたい――。中高一貫教育の始まりである。大都会に数多くある受験エリート校の中高一貫校ではない。バランスのとれた人間を育成することを目的とした、新しい試みだ。

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