モンスター化する青木幹雄

執筆者:園誠太郎2000年11月号

竹下登秘書から、今や「キングメーカー」へ いま政界で最も不気味な存在なのが、青木幹雄自民党参院幹事長だ。「党利党略」批判も何のその、参院の選挙制度を強引に変更し、「ポスト森」を睨んだ今後の政局も主導しようとしている。森政権が国民に極めて不人気な状況で、モンスターのように台頭してきた青木氏の実像に迫ってみた。 青木氏は二〇〇〇年という節目の今年、日本政治史に消し去ることのできない三つの「汚点」を残した。 一つ目は、年初の通常国会での衆院定数削減をめぐる混乱だ。「連立離脱」をちらつかせて与党内から小渕政権を揺さぶった小沢一郎自由党党首を封じ込めるため、当時官房長官だった青木氏は、野党抜きの強硬な国会運営を陰に陽に指揮した。 二つ目は、小渕恵三前首相の急病に伴う不透明な政権移行劇だ。青木氏や野中広務幹事長ら「五人組」が密室の談合で森喜朗首相を後継に決めたが、権力の空白期間に青木氏が首相臨時代理に就任した経緯は不自然さを極めた。脳梗塞の小渕氏が青木氏に「万事よろしく」などと言えたのかどうか、真相は闇の中だ。 三つ目が参院比例代表選に「非拘束名簿式」を導入するため、今国会で行なった選挙制度改変だ。青木氏が名実ともに司令塔となり、与党は強行採決を連発。野党の審議拒否は三週間に及び、斎藤十朗参院議長のクビまで犠牲となった。民主党の菅直人幹事長は、独裁を続けたユーゴスラビアの前大統領になぞらえ、「日本のミロシェビッチ」の称号を青木氏に与えたほどだ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。