離合集散を繰り返すアラブ世界の多様性

執筆者:浅井信雄2000年11月号

 イスラエル・パレスチナ衝突に対応するため、二〇〇〇年十月、カイロで招集されたアラブ首脳会議に、イラクからも招かれてターリク・アジズ副首相が出席した。イラクの招待は、湾岸危機発生の一九九〇年以来である。 同じアラブ国家のクウェートに侵攻して、アラブ・ナショナリズムを分裂させた罰として、アラブ世界から締め出された形であったイラクの、十年ぶりの復権と名誉回復である。 それを可能にしたのは、エルサレムのイスラム聖地について、イスラエルが支配継続の意図をあらわにしたことだ。アラブ世界の「大敵」に対抗するためには、「小敵」を許してまで結束を固める必要があったのである。 流砂のように揺れ動くアラブとは何であるか。アラブをたばねる基本の凝固剤はアラビア語とイスラム教だが、時とともに言葉は多様化し、信仰の熱意は人によって差が生まれる。それが凝固力を弱めるのである。「アラブ」という表現が記録として初めて現れるのは、紀元前八五三年のアッシリア碑文の中といわれる。その意味は「アラビア半島の北部砂漠を移動する遊牧民」と解釈される。七世紀前半にイスラム教が誕生するや、アラブとは「イスラムの聖典コラーンの言語、アラビア語を日常的に話す人」の意味となる。つまり、コラーンこそアラブ的性格の原点といってよい。十九世紀後半のアラブ・ナショナリズムの台頭とともに、「イスラム・アラブの歴史や文化にアイデンティティ(一体感)を抱く者」をアラブと呼ぶようにもなった。さらに現代では、アラブとは「大西洋に始まる北アフリカからイラン南西部に至る広大な地域でアラビア語を話す者」である。

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