「『コーポレートガバナンス(企業統治)とか情報公開という最低のルールさえ知らない。いや知ろうと努力しない経営者がいかに多いことか』(中略)わが国のネットバブル狂騒曲は、この程度のレベルの、日本語での日常のあいさつさえまともに出来ない、若いニイチャンの手で演奏されていたのである」(有森隆『ネットバブル』文春新書 六六〇円) 正気に返れば熱狂は冷める。わずか一年足らずの間に、単なる携帯電話販売会社や「虚業」の持ち株会社がもてはやされ、数百年先の利益を見込んだ水準まで株価が上昇し、破裂したのはなぜなのか。その問いに正面から答えようと試みたのが本書である。 一貫しているのは、「この道はいつか来た道ではないか」という問題意識。アメリカでも鉄道や自動車が登場した時には過剰な資金が流入したように、バブルの発生の際にはしばしば新しい産業技術の誕生がある、と著者はいう。また、金融緩和が「過剰流動性」を生じさせてしまったプロセスなど、八〇年代後半の土地バブルとの比較もしばしば顔を出す。 個別の事例のうち、光通信についての記述は「文藝春秋」初出時に株式市場でも話題となって、「ピカツーバブル」崩壊の遠因にもなった。携帯電話の「寝かせ」やコミッションビジネスの詐欺的実態のみならず、重田康光社長のポートレートの描写も興味深い。前社長が逮捕されたリキッドオーディオとアングラ社会との関係についても一章が割かれている。

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