シリコンバレーは青年期から壮年期へ

執筆者:梅田望夫2000年12月号

 東京での生活を引き払い、九四年十月に、妻と二人でシリコンバレーに引っ越してきた。勤めていたコンサルティング会社のシリコンバレー事務所を立ち上げ(九五年一月)、グリーンカード(米国永住権)を取得し(九五年十月)、パロアルト市に家を買い(九五年十一月)、仔犬と一緒に暮らしはじめた(九六年四月)。この連載を始め(九六年九月)、ほどなく会社を辞めて独立してコンサルティング会社を起こした(九七年五月)。岡本行夫さんと出会い(九九年七月)、エンジェルとして自分の金を初めてベンチャーに投資し(九九年九月)、ひいてはベンチャーキャピタルまで始め(二〇〇〇年七月)、四十歳になった(二〇〇〇年八月)。 こうして六年が過ぎた。 まさにドッグイヤーを生きている我が家のラブラドール犬・ジャック(黒・牡)は、手のひらの上に乗るほどの大きさで生まれ、約一年半で妻とほぼ同じ体重にまで成長し、まるでエネルギーの塊が生きていたかのような青年期の興奮を終え、まもなく五歳になる。 そしてシリコンバレーも大きく変わった。世界の片隅にあって小さく輝いていた「天気のいい田舎街」は、IT革命のキャピタル(中心地)として、世界経済に大きな影響を及ぼす存在となった。しかしその代償に、建設ラッシュと激しい渋滞で空気が少し悪くなり、地価は高騰、貧富の格差も拡大し、都市化がぐっと進んだ。アジア・インド系移民の爆発的増加は街の風景を変え、シリコンバレーは「人工的な無国籍都市」へと変貌を遂げつつある。

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