21世紀という暗い世紀

執筆者:徳岡孝夫2001年1月号

 鳥のように空を飛ぶのは、長いあいだ人間の夢だった。二十世紀が始まって三年目、ライト兄弟が人類初の動力飛行で、二百六十メートルの距離を飛ぶのに成功した。するとその世紀の終わる頃には、五百人以上の客を積んだ旅客機が飛んだり、音速の二倍を出せるまで、人間の技術は進歩していた。 夜空に浮かぶ赤い、どこか不吉な感じのする星も、大昔から人間に見上げられてきた。西洋人はその星から軍神を連想し、日本人は火星と呼んできた。 いま、二十一世紀が始まったばかりの時点で、人類はすでにかなり火星について知っている。マリナー、バイキング、サーベイヤーなどを打ち上げて火星を撮影し、また人工衛星を着陸させた。このペースでいくと、今世紀が終わる前に人間は火星の上に立つはずである。もし猛烈な砂あらしでなければ、人はそのとき火星上に何を見るだろうか? 私は最近「火星にかつて水が存在した証拠」だという写真を見せられた。 その写真は、似た大きさの長楕円形の岩をびっしり敷きつめたような地面で、何よりの特長は岩の一つ一つに縞模様がくっきり見えることだった。 木の年輪とは少し違う。カツオの切り身に表われる魚肉の縞の方に近い。科学者の解析によると、そこは湖か浅い海があったと思われる場所で、縞は徐々に水が干上がっていくのに従い、後に残った沈殿物だそうである。だんだん露出していく湖底に水が残したお別れの記念の線――とにかく「水がなければあり得ない縞」だという。

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