カスピ海産キャビアをめぐり周辺諸国では調整が微妙になる。原料であるチョウザメの漁場や漁獲高をめぐり協力と緊張の連続だ。イランの民族問題はそれに似ている。古来、東西諸勢力が来襲して版図が伸縮したイランは、民族がらみの対外関係で智慧を絞ってきた。 中核的民族はアーリア系である。イラン高原の遊牧民が紀元前一五〇〇年ころインド亜大陸に進出して覇権を拡大し、そこで接したサンスクリット語の「アーリア」(高貴なの意)が彼らの民族名となった。十六世紀以降はオスマントルコ帝国など周囲諸勢力の攻勢を阻み、ほぼ現在の版図を保持してきた歴史は、地域大国を支える民族の力を証明するものである。 言語や宗教の同じ諸民族が分布する中央アジアなど周辺一帯を含めて、ペルシャ世界やイラン世界と呼ぶのは、強い国家エネルギーの噴出を物語る。その最新例は一九七九年のイスラム革命の周辺への余波であろう。イラクがイランに八年戦争を仕掛けたのも、アラブ世界共通の不安を代弁していた。 国語ペルシャ語による国名ファールスは、紀元前六―四世紀のアケメネス朝ペルシャの中心地パールサに由来する。英語による国名ペルシャがイランに変ったのは一九三五年だが、いまもペルシャ湾やペルシャ絨毯などの英語の呼称にペルシャが残っている。

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