ドイツで再度高まる反ユダヤ主義

執筆者:立山良司2001年1月号

「あなた方はどうしてドイツに住めるのか。私には理解できない」一九九六年一月にドイツを訪問したイスラエル大統領エツェル・ワイツマン(当時)が地元ユダヤ人との集まりでこんな発言をし、物議をかもした。ドイツで生活基盤を確立し、そのことに自信と誇りを持っている地元ユダヤ人にとって、ワイツマン発言はあまりにも唐突だった。 その自信と誇りが揺らぎ始めている。二〇〇〇年十月、ドイツ・ユダヤ人社会の指導者の一人ポール・シュピーゲルは、「ドイツにユダヤ人社会を再建することが本当に理にかなっているのか、と問わざるを得ない」と述べ、反ユダヤ主義の高まりに警戒感を強めている。 第二次世界大戦直後のドイツにはホロコーストの生存者ら約二十万人のユダヤ人難民がいた。そのうちドイツに残ったのはわずか一万二千人ほどで、他は建国直後のイスラエルや米国に移民した。ところが、九〇年代に入り大きな変化が生じた。ソ連や東欧の崩壊に伴って、多数のユダヤ人がドイツに流れ込み、現在、ドイツにいるユダヤ人は十万人を超えると推定されている。急速に拡大したユダヤ人社会を九七年十一月に特集したイスラエル誌は、「ホロコーストを知らない世代がドイツ・ユダヤ人社会を再活性化させている」「彼らは恐怖というゲットーから外へ出て行った」と驚きを表明した。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。