日本人がリベリアという国名を目にするのは、海難事故の船が「リベリア船籍」と判明した時くらいではないだろうか。リベリアは日本と一九六二年に国交を樹立したが、世界各国の概況を日本外務省がまとめた「外交青書」(平成十二年版)には全く記述がないほど影が薄い。しかし、アフリカではたいへんユニークな存在である。 その独立は一八四七年で、共和国としてアフリカでは最も古い。国名リベリアは英語の「リバティ」(自由)、また首都名モンロビアはアメリカの第五代大統領ジェームズ・モンロー(在任一八一七―二五年)に由来する。 国旗のデザインは、横長地に赤と白の横帯が交互に十一本、左上隅の青の正方形に白い星を配したもので、アメリカ国旗をモデルにしている。政治制度もアメリカ型であり、いわばアメリカの「コピー国家」といえる。 西アフリカが外部世界に知られたのは、一四六一年のポルトガル人の来航以降である。CIA(米中央情報局)の推定では二〇〇〇年七月現在、総人口は三百十六万四千百五十六人、うち原住アフリカ人九五%、アメリコ・リベリアンとコンゴ系が各二・五%。最多数派の原住アフリカ人は西スーダンから中世末期に移住して来た。

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