二〇〇八年五輪をめぐる攻防

執筆者:竹岡亮2001年5月号

次期IOC会長選に加え、米中「新冷戦」も影を落とす 二〇〇八年夏季五輪の開催地が、七月中旬にモスクワで開かれる国際オリンピック委員会(IOC)総会で決まる。開催候補地はパリ、北京、トロント、大阪、イスタンブールの五都市。第四コーナーに差し掛かった招致レースのトップを走るのは北京とパリ、これをトロントと大阪が激しく追い上げ、イスタンブールが続く。 五輪開催地の決定はIOC委員買収スキャンダルの教訓から、各委員の候補地訪問が禁止された。代わってIOC評価委員会が候補地を訪問して作成する評価報告書を基に、開催地を決めるシステムになり、二〇〇八年の開催地決定から適用される。また、今年は二十一年間にわたりIOCに君臨したファン・アントニオ・サマランチ会長(八〇=スペイン出身)が退任し、新会長の選挙も行なわれる。 目立つのは二〇〇〇年五輪の開催権をシドニーに奪われて苦杯をなめた中国が、北京開催に向け雪辱に執念を燃やす姿だろう。IOC幹部からも早々と「北京有利」発言が飛び出したが、南シナ海上空での米中軍用機接触事故で米中関係が冷却化、先行きは一段と不透明になった。「最終選考は北京中心」 IOCの評価委員会メンバー(十七人)による五都市への視察は、二月から三月にかけ北京を手始めに、大阪、トロント、イスタンブール、パリの順で終了した。競技施設の優劣から判断すれば、「パリが断然トップ」(IOC関係筋)と言われる。三月の地方選挙でパリ市長が保守派のジャン・チベリ氏から左派系のベルトラン・ドラノエ上院議員に代わったが、五輪開催への意欲は保革両派とも変わらない。むしろ、公金横領など醜聞にまみれたチベリ前市長の退場は五輪招致にプラスとの見方すらある。問題は次回二〇〇四年夏季五輪が発祥の地アテネで開かれることだろう。パリになった場合には二回連続で欧州での開催になるためだ。

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