遠く離れた地から日本に浸る一日

執筆者:梅田望夫2001年6月号

 朝はいつも四時半か五時に起きて勉強を始める。しだいに夜があけ、何種類かの小鳥がさえずり、ひんやりとして乾いた風が東向きの窓から流れ込む。庭に咲くスター・ジャスミンの甘い香りが鼻を刺激し、木々の葉や芝の緑が目に鮮やかである。そんな五月の美しい早朝が私を戸外へと誘った。 思わず、ジャック(ラブラドール犬、黒、雄、五歳)と一緒に歩き始めてしまった。生まれたての太陽がだんだんと力を増していくのを腋の汗から感じつつ早足で歩いた。近所の庭のスプリンクラーからほとばしる水を、ノズルに直接口をつけてガッシガッシと勢いよくたっぷり飲んだ後、尾を振って芝を舐めまわるジャックの満ち足りた姿を見て、私の頭の中で何かがはじけた。 今日は休もう。仕事はしない。 フランスパンとジャムとコーヒーの軽い朝食をすませ、車でアウトドア・プールに向かった。シリコンバレーの西端のポルトラバレーという山間の小さな町にスイミングクラブがある。四方を鬱蒼とした木々に覆われたラッププールで泳ぐ人影はなかった。八コースを独占するようにして三十分、千メートルほど泳ぎ、少し凝っていた身体がほぐれ、気持ちが青空とやっとシンクロしてきた。 唐突に、豆腐を買いにサンノゼの日本町に行くことにした。名古屋の知人からもらった奥三河の吟醸酒が、冷蔵庫で冷えていることを泳ぎながら思い出したのだ。車に積んだCDの中から、志ん生の十八番「火焔太鼓」を選び、大音量で流しながら、ハイウェイを時速百二十キロで南に走った。目にまぶしい空の青と耳から飛び込む江戸情緒。この組み合わせは実にシュールだ。時折一人でニタニタ笑いながら「火焔太鼓」の名人芸に感動しつつ、豆腐屋に到着。シリコンバレーでサンノゼ豆腐を知らぬ者はない。店のたたずまいは三十年前東京の街角でよく見かけた豆腐屋そのものだ。創業一九四六年。今も手作りにこだわる本格木綿豆腐はシリコンバレーの宝である。作りたての豆腐二丁と油揚げで五ドル二十セント。

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